ビヨンセの挑戦、『ライオン・キング』でアフリカンミュージックを世界へ

バーナ・ボーイ、ティワ・サヴェージ、Tekno、ミスター・イージー、ウィズキッド等が参加した超実写版『ライオン・キング:ザ・ギフト』のコンパニオン・アルバムは、アフリカの音楽シーンを知る上で格好の一枚だ。(Kwaku Alston/©2019Disney)

ディズニーの新作映画のコンセプトアルバム『ライオン・キング:ザ・ギフト』には、ナイジェリアや南アフリカ、ガーナやカメルーンを代表するシンガーたちが多数参加している。本作は、ビヨンセによる現代アフリカン・ポップへのトリビュートであり、アフリカの音楽シーンの「今」を知る、おすすめの1枚でもある。

イェミ・アラデは風邪気味だった。

最近YouTubeのフォロワーが100万人を突破したナイジェリア生まれのスターは、先月ビヨンセが指揮をとるプロジェクトに参加するためロサンゼルスへと飛んだ。しかし着陸した時、彼女は自分の声がとても歌える状態ではないことに気がついた。「何が起きたのか、さっぱりわからなかった」彼女はそう話す。「話すことが精一杯で、一番低いキーを出すこともできなかったの」

パニックに陥りながらも、彼女はすぐさま回復モードに入った。「体全体の水分補給のために、まずサウナに入ったわ」アラデはそう振り返る。「それからビタミンCを大量に摂った。レモンと生姜でね。まるで漢方医だけど、とにかくあらゆる手を打ちたかったの」。

翌朝にスタジオに到着した頃、彼女は歌声を取り戻していた。「きっとアドレナリンが効いたのね」そう語る彼女は、ビヨンセ名義の新作『ライオン・キング:ザ・ギフト』の2曲に参加している。1994年に大ヒットしたディズニー映画のリメイクのアルバムとなる本作は、アメリカを代表するポップスターによる現代のアフリカン・ポップへのトリビュートでもある。本作にはアラデ以外にも、バーナ・ボーイ、ティワ・サヴェージ、Tekno、ミスター・イージー、ウィズキッド等、ナイジェリアを代表する才能の数々が参加している。ビヨンセが目を向けたのはナイジェリアだけではない。ガーナのShatta Wale、カメルーンのSalatiel、南アフリカのMoonchild SanellyやBusiswa等も名を連ねる本作は、アフリカの現在の音楽シーンを知る上で格好の1枚となっている。

本作に参加したアーティストやプロデューサーたちは、このアルバムが自分たちの名前を世界中に知らしめるための大きな足がかりになると信じている。中でも世界最大の音楽市場を誇りながら、イギリスやフランスと比べてアフリカ音楽への理解が乏しいアメリカへの進出は、彼らの長年の悲願だった。「ドレイクとウィズキッドのコラボレーション『ワン・ダンス』とか、(アフリカの音楽の要素を取り込んだアメリカのポップスという)前例がまったくないわけじゃない」本作の3曲にプロデュースで参加しているガーナ出身のGuilty Beatzはそう語る。「でも決定打になるようなものはなかった。ビヨンセの名前を冠したこのアルバムは、アフリカ音楽の未来を切り拓いてくれると信じてる」

本作のことが業界で話題になり始めたのは、4月の終わり頃だった。「ビヨンセがライオン・キングのプロジェクトに携わるという話を耳にしたのは、5月の半ば頃でした」Universal Music Publishing GroupのA&R、James Supremeはそう語る。「私たちの同僚のひとり、Ari Gelawが個人的に親しくしているビヨンセのA&RのMariel Gomerezに連絡したところ、彼女は色々と教えてくれました」

SupremeはGomerezに、フランク・オーシャンの『Blonde』やジョルジャ・スミスの『ロスト・アンド・ファウンド』に携わったナイジェリア系アメリカンの若き作曲家兼プロデューサー、Michael Uzowuruを紹介した。「『ザ・ギフト』のコンセプトは明確で、Michaelはそれを形にする方法をよく心得ていました」Supremesはそう語る。Salatielによると、同作のコンセプトは「アフリカ色を強く出すこと」だったという。「(ビヨンセは)アフリカン・スピリットを宿したアルバムを作ろうとしていました」Salatielはそう付け加えた。

UMPGのA&Rであり、ナイジェリア系のアーティストに注目しているSureeta Nayyarも、ビヨンセのチームにコンタクトを取った人物のひとりだった。「我々の会社は世界各国の優れたアーティストを抱えており、中でもバーナ・ボーイ(UMPGの契約アーティスト)は今アフリカで最も注目を集めているアーティストのひとりです」Nayyarはそう話す。「この機会を逃す手はないと思いました」そう話す彼女が推したバーナ・ボーイは、本作でビヨンセ以外に単独でマイクを握った数少ないアーティストのひとりとなっている。

『ザ・ギフト』の大半は、ロサンゼルスにあるスタジオコンプレックスでレコーディングされた。「2ヶ月近くに渡って、Michaelはスタジオに毎日通っていました」Supremeはそう話す。「そこには様々なスタジオが乱立していて、それぞれが異なるテーマを追求してた。クリエイティブなサイクルが目まぐるしく稼働してたの」アラデはそう話す。

Translated by Masaaki Yoshida

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