世界一のならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンの規格外エピソード集

ハンター・S・トンプソン(写真)「ハンターの編集はスタミナ勝負だった。でも、私は若かったし、あれは千載一遇だった」とローリングストーン誌創刊人ヤン・ウェナーが語った。(Photo by Arthur Grace/Zuma)



カーター前大統領のインタビューテープを紛失

トンプソンはセレブになり、そのせいで筆が遅くなった。そして漫画『Doonesbury(原題)』のキャラクターである「アンクル・デューク」として永遠の命を得た(同作品の作家ゲイリー・トルードーが1974年に登場させたキャラクターで、トンプソンがモデルとなっている)。ウェナーがその状況をこんなふうに説明していた。「名声とドラッグの間にあったすべてに、彼はズブズブとはまって行った。選挙とウォーターゲート事件のあと、彼はローリングストーン誌に小さな記事を書くことになっていたが、一度も〆切に間に合わず、完成した原稿が届くことはなかった」。当時のメモには7本の特集記事が記されていたが、1本も完成しなかった。1975年、ベトナムに関する大規模な記事を書くために、彼は陥落しつつあったサイゴンへと旅立ったが、結局はホテルの中庭で他の通信社の人間と酒を酌み交わしただけだった。また、前大統領のジミー・カーターと何度もインタビューを行って貴重な話を聞いたのだが、トンプソンは録音テープを紛失した。


ハンター・S・トンプソン(Photo by Arthur Grace/Zuma)

そんな芳しくない状態であっても、トンプソンは時々光り輝く記事を書くことがあった。例えば、1982年にフロリダ州パームビーチで行われたピューリッツアー夫妻の離婚訴訟。この記事では、生まれたばかりの80年代特有の「強欲文化」を見事にまとめ上げていた。1992年には「Fear and Loathing in Elko(原題)」を発表。これはシュールなフィクション作品で、トンプソンは未来の最高裁判事クレランス・トーマスと出会い、二人の売春婦と一緒にある道路に取り残される。「あれは驚異的なカムバックだった」と語ったウェナーは、このエルコ記事を1971年のベガス記事の後編だと見なしていた。「ベガス版は楽しくて希望に満ちているが、エルコ版は悲惨で非常に暗い話だ。人間の魂の最悪の衝動に陥るって感じだ」と言っていた。

トンプソンがローリングストーン誌に最後の記事を寄稿したのは2004年。いつになく謙虚なトーンの文章で、彼は読者に投票を嘆願した。この頃のトンプソンは背中の痛みが慢性化しており、車椅子が必要だった。彼の書籍の編集を担当した編集者ダグラス・ブリンクリーは、2005年1月にトンプソンとニューオリンズに旅したことを語ってくれた。この旅の最中に、ジェームス・カーヴィル主催のパーティーの会場への階段を降りられずにトンプソンは屈辱を感じた。「恨めしそうに階下のバーを見ながら、『俺の時代は終わったな、ダギー』と謎めいた言葉をつぶやいていた」とブリンクリー。その1カ月後、トンプソンがペレット銃で妻アニタを撃ち殺しそうになって、夫婦は怒鳴り合いのけんかになったとブリンクリーが報じた。翌日に二人は仲直りしたが、近所のヘルスクラブからアニタがトンプソンに電話したとき、奇妙なカチッという音が聞こえた。電話を切って自宅に戻ると、トンプソンは45口径の銃を口にくわえており、既に引き金を引いたあとだった。

Translated by Miki Nakayama

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