世界一のならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンの規格外エピソード集

ハンター・S・トンプソン(写真)「ハンターの編集はスタミナ勝負だった。でも、私は若かったし、あれは千載一遇だった」とローリングストーン誌創刊人ヤン・ウェナーが語った。(Photo by Arthur Grace/Zuma)



政治の中枢にも切り込んだトンプソン

当時のトンプソンは政治的なテーマで文章を綴る意義を再形成していた。1972年の大統領選挙中に、彼は14本の記事をローリングストーン誌に寄稿している。その中で、彼は政治の中枢であるワシントンDC文化にはびこる「無能な者」「野卑な者」「有力者」を徹底的に切り込んだ。トンプソンが書く文章のトーンは、同じアプローチで原稿を書いていた当時のジャーナリストたちとまったく異なるものだった。そして、それまで隠されていたメディア取材の力学をも露わにした。

「パック・ジャーナリズム」(事故事件現場や裁判所に多数の取材陣がパックの団体旅行の如く集結して取材や情報収集を行うこと)を暴露し、ジャーナリストと選挙陣営関係者の間で交わされる雑談や立ち話から生まれる「ちょうちん記事」の存在も明らかにした。当時のトンプソンの所見や見解の多くが今日のジャーナリズムにも当てはまる。「今では、やる気満々で嬉々として互いを太い棍棒で殴り合うように民衆を導けないと、(大統領選への)出馬はできないというところまで来てしまった。アメリカの政界で生き残るだけの熱量を得るには、ロックスター的な存在になるしかないのだ」と、彼は書いた。

しかし、トンプソンに仕事をしてもらうことが徐々に困難になってきた。ローリングストーン誌はサンフランシスコやフロリダのホテルに彼を缶詰にして、滞在中は酒類、グレープフルーツ、覚醒剤で部屋を満たした。トンプソンが「魔法の回線」と名付けた初期のFAX送信機がローリングストーン誌の事務所に設置されると、彼は変な時間に一度に数ページずつ原稿を送ってよこし、後から推敲箇所と締めの部分を送ってくるという具合だった。また、真夜中の2時にウェナーに電話してきて、原稿について話し合うことが多かった。「(モハメド・)アリのセコンドにでもなった感覚だったよ。ハンターの編集はスタミナ勝負だったが、私は若かったし、あれは千載一遇だった」と、かつてウェナーは語っていた。


ハンター・S・トンプソン(Photo by Arthur Grace/Zuma)

トンプソンとウェナーの書面でのやり取りで、トンプソンはアルバムと覚醒剤を要求した。一方でウェナーは、トンプソンの〆切破り、編集スタッフを遅くまで待たせること、ウェナーの自宅からカセットを盗むことに対する罰を与えていた(「確かに卑劣な行為は何度もしたが、お前のカセットなんて盗んじゃいない」とトンプソンは手紙に記している)。

Translated by Miki Nakayama

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