世界一のならず者ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンの規格外エピソード集

ハンター・S・トンプソン(写真)「ハンターの編集はスタミナ勝負だった。でも、私は若かったし、あれは千載一遇だった」とローリングストーン誌創刊人ヤン・ウェナーが語った。(Photo by Arthur Grace/Zuma)



『ラスベガスをやっつけろ』誕生の舞台裏

この1年後、トンプソンは執筆中の原稿の最初の章をローリングストーン誌に送ってきた。この原稿は「ドラッグが効き始めた頃、私たちは砂漠の端のバーストー周辺のどこかにいた」で始まる。「『頭がフラフラするから、君が運転したほうがいい』とか何とか言った記憶がある。すると、突然、私たちは轟音に包まれて、空が巨大なコウモリの群れのようなもので埋め尽くされ、そいつらが急降下し、甲高い声をあげながら、車のまわりに突進してきた。時速100マイルで上空からラスベガスに急降下していた」

『ラスベガスをやっつけろ』は、トンプソンにとっては決定的な作品となり、複数の世代の読者にとっては決定的な文芸作品体験となった。この作品の始まりはスポーツ・イラストレイテッド誌からの依頼で、トンプソンはラスベガスに行って、現地で行われるバイクレースMint 400の写真に250ワード(約700字)のキャプションを書く仕事を頼まれた。自身を「ジャーナリズムの医者」と紹介しつつ、彼は持参した自分用の燃料を記録した。そこには「葉っぱを2袋、メスカリン75錠、LSDを染み込ませた強力な吸い取り紙5枚、コカインが半分まで入った塩入れ、アッパー系、ダウナー系、スクリーマー系、笑い系などの色とりどりの集合体……加えて、テキーラ1リットル、ラム酒1リットル、バドワイザー1箱、エーテル500ml、アミルを2ダース……。今回の旅にこれら全部が必要というわけではないが、一度ドラッグのコレクターになってしまうと、いつでも可能な限り限界を広げようとしてしまうのだ」と記してあった。

このときの旅は、バイクレース取材よりも、トンプソンの言葉を借りれば「アメリカンドリームの心臓部への獰猛な旅路」だった。スポーツ・イラストレイテッド誌に2500ワードの原稿を入稿したのだが、この原稿は請求した経費とともに突き返された。しかし、この原稿を読んだウェナーは即座に飛びついたのである。「我々は完全にノックアウトされた」と、当時編集主幹だったポール・スキャンロンが言う。「みんなで爆笑の発作を起こしながら、編集者それぞれのお気に入りの文章を互いに読んで聞かせていた。例えば『葉っぱ吸いたいって? お前は馬鹿か。あのコウモリの群れを見るまで待てよ!』とか」

ローリングストーン誌はもう一度トンプソンをベガスに向かわせて、全米地方検事長協会(National District Attorneys Association)の麻酔薬と危険薬物に関する議会を取材して、もっと掘り下げた内容にすることを依頼した。そうして完成した原稿は衝撃的で、非常に面白いものだった。記事『Fear and Loathing in Las Vegas(原題)』は前後編に分けられて、1971年の11月11日号と11月25日号にラルフ・ステッドマンのイラストとともに掲載された。そして、翌年に書籍化された(1981年にはジョニー・デップ主演で映画化されている)。

Translated by Miki Nakayama

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