マンソン・ファミリーによる殺人現場の家屋、問い合わせ殺到の理由

半世紀の間に家の所有者は何度も変わった

この半世紀の間にこの家の所有者が何度も変わったにもかかわらず、家自体は外壁が変わっただけで1969年と同じ姿で今でも丘の上に建っている。テートの自宅は違う。土地の所有者アルヴィン・ウィンストローブが1994年にこの家を取り壊し、通りの住所も変更して野次馬を遠ざけた。「家もない、土もない、シャロン・テートに関連するものは草の葉すらない」と、1998年に雑誌ロサンゼルス・マガジンで話している。

ウェイヴァリー・ドライヴの家の過去はジャンバルボにとって特に気になることでもない。彼はこの家の所有者がこの家を買った1990年代後半から知っているのだ。そして、数週間後に殺人事件から半世紀の節目に当たる時期に、この家が売りに出されたことも単なる偶然だと言う。彼の説明によると、所有者はリタイアの準備をするために1年ほど前からこの家のリスティングをジャンバルボに相談していて、家の公開準備にしばらくかかっただけということだ。「彼らはこの家に20年間住んでいました。一度も他人に貸したことがなく、この家での生活を楽しんでいました。マンソン絡みの問題は一度も起きていません」と、ジャンバルボが教えてくれた。

ただし、この家の内覧ツアーは、ホームページで数回クリックすれば予約できるというわけではない。この家を購入する可能性のある者として、事前承認書類と購入資金の証明書をジャンバルボに提出しないといけないのだ。1週間前に販売の告知をしたのだが、それ以降、実際に内覧したのは20組以下で、50組ほどの申し込みを断った。

事前承認書類での予備審査戦略が奏功しているようで、ジャンバルボ曰く、内覧した人々は全員が1969年以降の生まれで、彼らは誰一人としてラビアンカ殺害事件について一言も質問しなかったということだ。「これは誇張でも過大評価でもなくて、本当にあの家は摩訶不思議な場所だと思います。あの家に足を踏み入れた途端に居心地の良さを感じるために、あの事件のことなど忘れてしまうんですよ」と、ジャンバルボが言う。

この家を買うべき人にとって、アメリカの犯罪史に残る凄惨な事件が起きた場所だろうが全く関係ないのだろう。「この家は典型的なロサンゼルスの一戸建てです。この家を買わないとしても、『じゃあ、ケイティー・ペリーのマンションの隣の全景が見渡せる物件が出てくるまで待つよ』などとは言えない家なのです」と、ジャンバルボがこの家の魅力を力説した。

Translated by Akiko Kato

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