ロシア生まれ、ニューヨークのローワー・イーストサイドで育った彼女のピアノ、パンクは、ビョークの心の叫び、フィオナ・アップルの狂気、トーリ・エイモスの畳みかけるような激しさ、リズ・フェアの辛辣さを思い起こさせる。しかしスペクターは、彼女のメジャー3作目にあたる傑作アルバムに収録の「フォルディング・チェア」で、濃密な恋愛関係をイルカの鳴き声のような声で表現した。そんな女性アーティストはほかにいない。29歳のスペクターは『ソヴィエト・キッチュ』(2004年)で、そのエキゾチックなアクセントを包み隠すことなく、酔っ払いの理論で語られるトーチソング(失恋の歌)を奏でた。プロデューサーにジェフ・リン、マイク・エリゾンド、デヴィッド・カーンといったポップの鬼才たちを迎え、本作『ファー』は『ソヴィエト・キッチュ』に匹敵する華やかな作品となった。小粋なヒップホップ調の「ダンス・アンセム・オブ・ザ・エイティーズ」では、誰もいない通りをスリップ姿でさまよう。「ラフィング・ウィズ」では、神のユーモアのセンスについての考察で始まり、ソフトなビートと悲しげなチェロを伴奏に、実存主義者の激高とともに崩れ落ちるように終わる。彼女は、ヘンになればなるほど普遍性を増すという奇人だ。

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