プロレスラーMAOは何故、高木三四郎を自動車で轢くのか?

DDTプロレスリングのMAO(Photo by Takuro Ueno)

グループ全体の所属選手は数十名を超え、すでにインディーとは呼べない規模の団体に成長したDDTプロレスリング。その中で、ひと際目立つ存在となっているのが、22歳の若きホープMAOだ。マイク・ベイリーとのタッグチーム「ムーンライト・エクスプレス」で見せる華麗な連携や空中技もさることながら、頭角を現すきっかけとなったのは、路上プロレスに代表されるDDTならではの破天荒な試合形式への適応能力だった。

ファンの間では「飯伏幸太の再来」とまで評される身体能力、そして“デタラメさ”を持つMAO。彼が破天荒なスタイルにこだわる理由はどこにあるのか? 数千人クラスの大会場となる東京・大田区総合体育館で開催される、全席無料のプロレス興行「Wrestle Peter Pan 2019」参戦を前に、その胸中を聞いた。

YouTubeでデビューのチャンスを掴んだネット世代のプロレス少年

奇しくも、DDTプロレスリングの旗揚げと同じ1997年生まれのMAO。プロレスと出逢ったのは、13歳のときである。

MAO:同世代のレスラーの大半がそうだと思うんですが、僕も深夜に放送されていた新日本プロレスの番組で、初めてプロレスを知ったんです。最初に観たのは、真壁刀義さんと中邑真輔さんのシングルマッチ。中邑さんが真壁さんを裏切ってCHAOSを結成するきっかけになった試合でしたね。裏切られてもやられても、挫けずに立ち上がり闘い続ける真壁さんの姿に感動してしまって。

「何に対してもボーっとしているタイプ」だったという少年が、初めて夢中になれるものを見つけた。その日からMAOは、YouTubeで手当たり次第にプロレス動画を観まくった。

MAO:そのうち、案の定自分でもプロレスがしたくなって(笑)。「ファイヤープロレスリング」のエディットモードで技のコマ送り映像を見て研究しながら、友達とプロレスごっこに明け暮れる中学時代でした。

気付けば、自分の“試合映像”をYouTubeにアップするようになっていた。そして、この動画がDDTでのデビューにつながっていく。


(C)株式会社DDTプロレスリング

MAO:プロレスごっこの動画をアップしている子って、当時から全国に結構いたんです。で、その中のひとりがプロテストを受けたって、(DDT代表の)高木(三四郎)さんがツイートしているのを見つけるわけですよ。

そこで早速、自分も動画をアップしていることを高木へのリプライでアピール。高木も即座に反応し、メールのやり取りをする間柄となる。とはいえそれ以前から、すでにDDT以外の団体は眼中になかったという。

MAO:本格的にプロレスラーになりたいと思ったのは、両国国技館で行われた高木さんとザ・グレート・サスケさんとの試合を動画で観てからなんですよね。

一定時間ごとに公認凶器がリング上に投入される「ウェポンランブル」形式で行われたこの試合は、熱々のおでんや自転車、スチール製のロッカー、さらには両者の夫人までもが精神的ダメージを与える(夫に襲い掛かる)凶器として用いられた、破天荒な内容で今なお語り継がれる伝説の一戦だ。

MAO:いい歳をした大人がすることじゃないな、って子供心に衝撃を受けて(笑)。この試合もそうなんですけど、DDTの試合って観客として見て楽しいっていうこと以上に、誰もが本当に楽しそうに輝いて闘っているように見えたんです。だったら、自分もその中に入って輝いてみたいなって。だから、他の団体に入りたいと思ったことは一度もありませんでした。

プロレスごっこ動画をYouTubeにアップしたことで掴んだ夢。ネット世代のプロレス少年がDDTという“輝きの中へ”飛び込みデビューを果たすのは、2015年8月の両国国技館大会だった。

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