差別による暴動事件から50年、同性愛者たちが築いた公民権運動の歩み

1971年、消防署でのダンス(Diana Davies/The New York Public Library)

LGBTQ運動のきっかけとなった「ストーンウォールの反乱」から50周年を迎え、今年の「NYプライド2019」は盛大なイベントとなった。実は、ストーンウォール反乱は、同性愛者の権利獲得運動の先駆けではなかった? アメリカで起きた同性愛者による最初の反乱でもない? 50年という節目を祝い、改めてLGBTQ運動の歴史を振り返る。

ストーンウォールの反乱は同性愛者の権利獲得運動の先駆けではなかった。また、アメリカで起きた同性愛者による最初の反乱でもない。1969年6月28日午前2時に私服警官がストーンウォール・イン(ゲイバー)に踏み込んで、バーを閉鎖したのだが、実は同バーは同じ週にすでに私服警官の強制捜査が入っていた。

しかし、ストーンウォールの反乱と呼ばれる夜、警官はバーにいたドラァグクイーンやボイ系レズビアンを逮捕しようとした。バーにいた客たちは警官に対して最初は小銭を投げつけ、次に小さな丸石を投げつけ、そして根こそぎ引っこ抜いたパーキングメーターを投げつけた。しかし、彼らにとってこれは革命ではなく、そこに至るまでのさまざまな出来事に対するリアクションだった。「自分たちは集まってダンスする場所すら許されなかった。あれが歴史になるなんて誰一人として思っていなかった」と、あの場にいたトーマス・ラニガン=スミスは教えてくれた。だが、1950年代と1960年代の同性愛者の権利獲得運動をしていた運動家たちにとっては、この暴動が運動を大きく動かす火種となった。当時の同性愛者の運動というのは、同性愛者5〜10人、多くても15人程度が座り込みをしたり、ピケを張ったりするもので、東海岸全体でも公に同性愛を認める者の数はそれくらいしかいなかったのである。

「ストーンウォールの反乱を可能にしたのは、それ以前に何十年と続いた住民組織化のおかげです」と、ニューヨーク公共図書館(NYPL)のLGBTコレクションのコーディネーター、ジェイソン・ボーマンが言う。彼は3年前から、現在、同図書館で展示さている「Love & Resistance(原題)」のキュレーションを担当している。この展示は、同性愛者の権利獲得運動が始まってから30年間に撮影された写真、運動のためのフライヤーや印刷物などを集めたものだ。NYPLのゲイとレズビアンのコレクションは最大のもので、レズビアンのフォトジャーナリストの先駆けであるケイ・トービン・ラフセンとダイアナ・デイヴィーズの作品アーカイヴの本拠地でもある。また同図書館にはアメリカ国内の同性愛者の権利獲得運動を展開する団体の多くが記録を保管している。同図書館が所蔵するコレクションから厳選して、同性愛者の権利獲得運動の最初の30年を特徴づけた反対運動、ナイトクラブ、雑誌、個人的な反抗に関する展示物をパッチワークのように並べたのが、今回の展示といえる。

ボーマンは、今回の展示がストーンウォールの反乱(ストーンウォールの暴動とも呼ばれる)が、何十年も続く同性愛者の権利獲得運動の象徴的な出来事の一つとして記憶されることを願っているという。この暴動が起きる前に、最初のLGBT団体であるマタシン協会やレズビアンの権利獲得運動団体ドーターズ・オブ・ビリティスなどの同性愛者の団体が、職業安定所の前でピケを張ったり、パネル・ディスカッションを行ったり、ニュースレターを配布したりしながら、20年間という歳月をかけて活動の草の根を広げた。「彼らは政治的な運動に人生のすべてを捧げました」とボーマンが言う。そして、彼らが整えた土台があったからこそ「ストーンウォールでの出来事が周知となり、政治的な意味合いを持つ大きな出来事となったわけです」と続けた。そういう場所に行くことですら大胆な行動とみなされた時代に行われた運動の記録を見たあとで、普段と変わらない金曜の夜が一つの権利獲得運動にとって新たな時代の幕開けとなった経緯をより深く理解してほしいと、ボーマンは望んでいる。

この展示は、ニューヨーク公共図書館の敷地内にあるブライアント・パーク図書館の3階で7月13日まで公開されている。
以下にその一部を掲載する。

1971年、消防署でのダンス

同性愛者の解放運動は、根本的には公共の場所をめぐる戦いであった。この写真が撮影されたのは、米国内で最初の同性愛者たちのコミュニティセンターとなった、廃屋の消防署。 1974年に爆撃されるまで、LGBTの交流の場となり、毎週ダンスパーティが開催された。(Diana Davies/The New York Public Library)

1965年、軍事雇用差別に抗議するホワイトハウス

ストーンウォール反乱以前に行われていた、LGBTQ公民権のデモの中心は、軍事的雇用の差別であった。政府は「ピンクの恐怖(the Pink Scare)」と呼び、LGBTQの人々を雇うことを避けたためだった。(Kay Tobin Lahusen/The New York Public Library)

マーシャP.ジョンソン、アルバニー、1971年


3月に ストーンウォール暴動の最も有名な活動家の一人であるマーシャ・P・ジョンソンは、ジャーナリストのエリック・マーカスとのインタビューで、「私は夜中の2時までダウンタウンにたどり着けなかった」と述べた。 「私がダウンタウンに着いたとき、その場所はすでに火事になっていた」1969年までに警察と衝突したことは、彼女にとって当たり前のことだったという。(Diana Davies/The New York Public Library)

1969年、タイムズスクエアのゲイ解放運動


「ゲイ解放運動」は、ストーンウォール暴動から始まった。 1950年代から1960年代にかけて、ニューヨーク・マタシン協会という組織が、ゲイ公民権運動の中心的存在となり、新世代のLGBTQの人々を活気づけた。(Diana Davies/The New York Public Library)

ゲイ解放運動、ラディカレズビアンズのメンバーのイダ

ゲイ解放運動が、包括的なアイデンティティを確立していたため、LGBTQの人々は自分の場所を見つけるのに苦労した。ラディカレズビアンズと呼ばれたコミュニティもそのひとつだった。(Diana Davies/The New York Public Library)

1971年、Jamen Butler とTom Malim

カメラマンのKay Tobin Lahusenは、同性愛者とレズビアンのカップルを記録するために全国を旅した。彼女のアーカイブには、この時代の同性愛者のカップルの約1,000枚の画像が収められていたという。 (Kay Tobin Lahusen/The New York Public Library)

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Translated by Miki Nakayama

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