ピンク・フロイドのニック・メイスンが語る、75歳でソロ活動を始めた理由

ソーサーフル・オブ・シークレッツでピンク・フロイドの初期の音楽を再現したメイスンChristaan Felber for Rolling Stone

ピンク・フロイドのニック・メイスンが同バンドの初期作品に捧げるソロ・プロジェクトを始めることにした理由を、ローリングストーン誌に語ってくれた。ソーサーフル・オブ・シークレッツでピンク・フロイドの初期の音楽を再現したメイスンは、キャリア初のツアーバスに乗り、定期便で飛びまわり、ツアーの一瞬一瞬を思う存分楽しんだ。

元ピンク・フロイドのドラマーのニック・メイスンがビーコン劇場の楽屋のケータリングエリアで小さな器に入った豆スープを飲んでいる。今、彼の新しいバンド、ニック・メイスンズ・ソーサーフル・オブ・シークレッツがニューヨークで初お披露目される3時間前だ。75歳になるこのドラマーがビーコン劇場の近くで最後に演奏したのは1972年で、その頃のピンク・フロイドは未完成のアルバム『狂気』の収録曲をツアーで演奏して反応を確認していた。これはプライベートジェットで移動し、フットボール・スタジアムをソールドアウトする彼のバンド人生が終わりを迎える直前だった。そして、目的のためには手段を選ばないマキャベリ的な勢力争いがバンド内で熾烈になり、ピンク・フロイドの再結成は夢のまた夢という状態で彼らは25年前に解散した。

音楽シーンからピンク・フロイドが抜けた穴は、多数のトリビュート・アクトを導入して行われたロジャー・ウォーターズとデヴィッド・ギルモアのソロ・ツアーの大成功によって埋められた。しかし、長年メイスンはそこに自分の居場所がないと感じ続けてきた。生存するピンク・フロイドのメンバー3人のうちの一人だというのに。それも最初から一度もバンドを離れずに在籍し続けたというのに。メイスンは言う。「できるとは思っていなかった。ただ、『本当にあそこに参加したいのか、ロジャーやデヴィッドやオーストラリアン・ピンク・フロイド・ショーなどで本当に演奏したいのか』って考えたよ」

そんなこともあって、過去25年間、彼はあまり活動をしてこなかった。あらゆる方面からもたらされるピンク・フロイド関連の収入があったため、活動する必要すらなかったのだ。「家で過ごすことが多かったよ、本当に。ヘリコプターの操縦免許も取ったし、カーレースもかなりやった。プレイするのが恋しかったし、ライブで放出されるあのアドレナリンが恋しかったからね。あと、(ピンク・フロイドの)再リリースやコンピレーション関連の仕事にも携わったよ。ラジオなど、人前でちゃんと話ができるメンバーは私だけだったようでね」と続けた。

ロジャー・ウォーターズが2006年に行ったダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン・ツアー中の数公演にゲスト参加し、ギルモアとは2014年のピンク・フロイドのインストゥルメンタル・アルバム『永遠/TOWA』で共演した。この作品はバンドとしての最終陳述として作られたため、その後のツアーは一切行われなかった。「1994年の大きな(『対/TSUI』)ツアーのあと、デヴィッドは大きなツアーはもうたくさんだという状態でね。その原因は理解できたけど、全面的に彼に賛同することは無理だった。でも、あの頃のデヴィッドの肩にはあらゆる重荷がのしかかっていたから、状況自体が変化していたんだよ。バンドとしてのハードワークもあったし、子供が小さくて家族の面倒もみないといけなかったから」とメイスンは説明する。

Translated by Miki Nakayama

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