現場スタッフから見たフジロック黎明期の衝撃

今年は7月26日(金)、27日(土)、28日(日)に開催されるフジロックフェスティバル(©︎宇宙大使☆スター)

もはや言うに及ばず日本における音楽フェスのオリジネイターであり、その最高峰として国内のみならず世界中のミュージックラバーから愛されているフジロックフェスティバル。この国のフェスカルチャーが発展し、成熟の域に達している今もなおフジロックは孤高のロールモデルとして存在している。

初年度からフジロックのスタッフとして名を連ねステージ制作をまとめているSMASHの小川大八と飲食出店の管理を任されているホットスタッフプロモーションの鯉沼源多郎、アーティストブッキングの中軸を担っている高崎亮に、フジロックの黎明期から現在に至るまでのドラマティックな道のりを語ってもらった。

ーフジロックに行くことが日本の音楽ファンの一つのステータスになっていて。それは台風による豪雨に見舞われ、2日目が中止になった初年度の天神山から始まったと思います。あの現場にいた人たちは今でも武勇伝のように語りますよね。

小川 そうですね(笑)。あれは音楽業界においても、お客さんにとってもショッキングな出来事だったというね。開催される前から「音楽のフェスティバルって何? そんなの見たことない」というイベントだったわけでしょう。海外アーティストが一同に集まって野外で2日間にわたって開催するという。それでたまたま台風で2日目がああいう形で中止になって余計に衝撃度が増したんですよね。

高崎 初年度の「最悪じゃん、このフェス!」っていうストーリーから豊洲に会場を移した翌年の成功という落差が激しかったんでしょうね。当初は「一つのステージでアーティストが演奏しているときに、別のステージで他のアーティストの演奏が始まるのはおかしいって」とか言われたりもして(笑)。

小川 それは俺らも思ってたんだよ。「これ、全部のライブを観れないじゃないですか」って日高(正博/SMASH代表)に言ったんだけど、彼はそこに最初からこだわっていて。「ステージは一つじゃダメなんだ。複数ないとフェスティバルにはならないんだ」って。

ーグラストンベリー・フェスティバルがロールモデルになっているわけで。

小川 そういうことですよね。

高崎 ただ、海外のあたりまえが日本ではありえない世界だったんですよね。97年の時点で「オールスタンディングって何?」と言われるような状況だったんですよ。ブロック指定で大規模なオールスタンディングのライブをやったのって98年の幕張メッセで開催されたプロディジーが最初でしたっけ?

小川 そう。

高崎 だからスタンディングに対する理解もない。加えて雨具を用意するという発想もないから、タワーレコードの袋で雨を防備するみたいな。

小川 Tシャツ、短パン、ビーサンで山に来たみたいな。で、台風直撃(苦笑)。

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