現場スタッフから見たフジロック黎明期の衝撃

「キャンプもできないようなフェスは俺のフェスじゃない」

ー初年度が終わったあと2年目も開催できると思ってましたか?

小川 いろんな反省点を踏まえてもう一回リベンジしたいとすぐに思いましたけどね。

鯉沼 それはたぶんみんな思っていたはず。このままじゃ終われないと思った。

小川 散々叩かれまくったままでは、ね。

鯉沼 自分たちでフジロックの答えを見つけないと。

ーそれで2回目は豊洲で開催して。

鯉沼 そう。ほんとは2回目も天神山で開催する方向で進めていたんです。でも、それが最終的にダメになって。それで会場を探した結果、豊洲のベイサイドエリアになったんです。

高崎 97年の12月くらいに探し始めて豊洲に決まったんですよね。

鯉沼 そうです。

小川 それで98年に豊洲で2日間開催してなんとかやり遂げたわけですよ。うちら的には「やっと成功した! 来年もここでやろう!」というムードもあったんだけど、日高的には「ここじゃないんだ」と。「キャンプもできないようなフェスは俺のフェスじゃない」ということでまた別の場所を探すことになったんです。

ーそして、苗場に白羽の矢が立ったと。

小川 苗場はすぐ決まりましたね。

鯉沼 いろんなご縁もあってね。

小川 2年目に豊洲で開催したときにちょうど時代的に“熱中症”という言葉が出てきたんです。本部の救護所に訪れた人の数を管轄の消防に届けるという決まりがあって。フェスの開催中に何百人って救護利用者が来るんですけど、そのうちの95%くらいは「バンドエイドください」とか「虫刺されです」というレベルの症状で。そうすると消防は救護所に来た人の数だけ見るから、救護所を訪れた人=倒れた人とみなすわけです。

ー重篤なイメージがつく。

小川 そういう認識になるんですね。

鯉沼 それで、マスコミが取材すると消防が「熱中症などで何百人が救護所を利用しました」と言うんですね。

ーああ、そうすると何百人も熱中症で倒れたという捉え方をされる。

鯉沼 そうそう。実際は熱中症で倒れた人なんて10人もいないのに。

小川 翌日の朝日新聞の朝刊に出たんですよ。「熱中症で何百人も倒れた」みたいな感じで。豊洲の上空から会場内の雑景を撮った写真とともに。

高崎 観客がレジャーシートを敷いて寝っ転がってる画も倒れてるように見えて(苦笑)。

小川 そう、まるで熱中症で倒れてるような写真になっちゃった。

ー印象操作ですよね。

小川 そうそう。初日は19時のNHKのニュースにも出て。

高崎 マスコミは「フジロック、見たことか!」って言いたかったんですよね。

鯉沼 ちょうど梅雨明けのいい天気で、その関連ニュースみたいな取り上げられ方をして。「夏、熱中症で倒れる」みたいなネタの格好の餌になった。そこから苗場に会場を移した話につながるんですけど、その朝刊を西武グループの堤義明さんが見たと。西武グループもスキー場をいっぱい抱えてるけど夏は閑古鳥の状態なわけで。そこにフジロックを誘致できないかと思っていただいたらしいんですね。

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