ローリングストーン誌読者投票「ラモーンズのベスト・アルバム」トップ10

1976年8月、サンタモニカにて:1976年8月カリフォルニア州ロサンゼルスでポーズをとるロックンロール・バンド、ラモーンズのジョニー・ラモーン、トミー・ラモーン、ディー・ディー・ラモーン、ジョーイ・ラモーン(写真左から)。Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images


3位『ロード・トゥ・ルーイン』

『ロード・トゥ・ルーイン』は1作目から約2年後にリリースされたラモーンズ4枚目のアルバムである。今作はヒットさせるために、結果的に報われない努力となってしまうが、彼らはそれまでのやり方を変えるという決断をしていた。ギター・ソロがあればバラードもあり、アコースティック・ギターを使ったりもした。その作戦は成功せず、アルバムは100位にすら届かなかったが、もし世が世なら「アイ・ウォナ・ビー・シディテッド」は1978年を代表する1曲になっていただろう。しかし、実際はアンディ・ギブが「愛の面影」と「シャドー・ダンシング」の2曲が大ヒットを記録している。

2位『ラモーンズの激情』

ラモーンズのデビュー・アルバムがいかに革命的なものであったかを感じるために、リリース月のアメリカ国内のトップ・ヒット曲を振り返ろう。ジョニー・テイラーの「Disco Lady/ディスコ・レディ」が1位、続いてベラミー・ブラザーズの「愛はそよ風」、マキシン・ナイチンゲールの「愛とは強いもの」、シルヴァーズの「ブギー・フィーバー」であった。このポップ・ミュージックの隙間に革ジャンを着た態度の悪いクイーンズ出身の4人組がシンナー吸引や男の売春や様々な暴力行為を歌った曲を引っさげて入り込んできたのだ。

このアルバムはラジオシティ・ミュージックホールのスタジオでたった7,000ドルでほんの数日でレコーディングされた。トミー・ラモーンズは亡くなる少し前に「エンジニアは俺たちがやろうとしていたことを理解できなかったんだ。彼はただ同じ曲を何回も繰り返しレコーディングしていると思っていたはずだ」とローリングストーン誌のデイヴィッド・ブラウンに語っている。

このアルバムはすばらしい反応と評判を得たが商業的成功には至らなかった。しかし、レーベルはバンドを信じ、彼らにアルバムを作り続けさせた。結局のところ、本当に重要なのはそこなのである。

1位『ロケット・トゥ・ロシア』

1977年の夏に『ロケット・トゥ・ロシア』の制作に入るまでにラモーンズは順調に活動をするようになっていた。3年間ノンストップでツアーを周り、すさまじいペースですばらしい曲をリリースし続けていた。セックス・ピストルズのワイルドな振る舞いによってアメリカのメディアがパンク・ムーブメントに注目し始め、これがついにラモーンズがブレイクするきっかけとなるアルバムになるかもしれないという希望があった。リード・シングル「シーナはパンク・ロッカー」は実際ビルボード・ホット100入りを果たし、最高81位を記録した。多くのバンドにとっては控えめな成功であるかもしれないが、ラモーンズにとっては大きな成功だったのである。

過去最大の予算が与えられ、「ロッカウェイ・ビーチ」や「ハッピー・ファミリー」のような曲がヒットしない理由はなかった。しかし、どういうわけかヒットには至らず、アルバムは49位に留まった。これによってバンドは大きなダメージを受け、その後ほどなくしてツアーと絶えることのないバックステージでのケンカに疲れ果てたトミー・ラモーンは脱退した。幸運にも彼はラモーンズに参加した最後のアルバムが1970年代において最高のアルバムの1枚と評価されるようになるまで生きることができた。

Translated by Takayuki Matsumoto

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