大槻ケンヂが振り返る、筋肉少女帯との30年「ロックを始めたきっかけは長嶋茂雄」

大槻ケンヂ(Courtesy of 徳間ジャパン)

2018年から始まった筋肉少女帯メジャーデビュー30周年イヤーが、6月30日の中野サンプラザ公演をもって31年目に突入。それに伴い、6月21日~7月1日にかけて、彼らの聖地とも言うべき中野ブロードウェイで「筋肉少女帯展」も開催される。そこで今回は、筋肉少女帯・大槻ケンヂを直撃。30年間における心境の変化を語ってもらった。


―心境の変化といえば、春先に『週プレNEWS』のインタビューで「バンドマンがモテた時代なんて1ミリもなかった」という話をされてたじゃないですか。

大槻:いきなりそんな話!? そういうコンビニ本的な話、みんなとっても好きだよねぇ。あれ実はね、あのときのインタビュアーの方が、ものすごく緊張されてたんですよ。どうやら僕のファンだったらしくて、それでちょっとしたバカ話でほぐしてみようとしてみたら、なんかそこばかり切り取られていた!というインタビューこれよくあるある(笑)。でも、そうだよなぁ。やっぱり自分が書く側だったら、下世話な話をメインで使うもん。僕の音楽の話とかどうでもいいよね(笑)。

―でも実際、どうなんですか? 1000人斬りは大げさかもしれないけど、それでもモテなかったということはないでしょう。

大槻:だから、どーでもいいでしょそこ(笑)。まぁ、そこは“モテる”ということの基準、定義ですよね。いわゆるリア充の男性……このリア充の定義も難しいんだけど、彼らの“モテる”とバンドマン如きの“モテる”はレベルが違うってのが、いい加減なんとなく分かってきたかな。つまり自分が思ったほどモテてたことなんてないんだよ。でももう53歳だもの、どーでもいいです。


筋肉少女帯 左から本城聡章、大槻ケンヂ、内田雄一郎、橘高文彦

―なるほど。B級ホラーやオカルト好きな少年だって、バンドをやればモテまくるというのは、実に夢のある話だと思うんですけどね。

大槻:“モテる”は昭和の男の重荷だったんだよね。今じゃ信じられないけど、いい車に乗って、いい酒を飲んで、いい女をはべらかしてっていうのを実践して、こうすれば俺みたいになれるよって次の世代に見せつけるのが、昭和の男のやるべきことだったんですよ。でも段々と人生そういうことじゃねーべっていう風になってきて、今や誰もそんなこと言わなくなったし、目指さなくなった。そんな物質的欲望が、ようやくバカバカしいことだと気付いたんだねぇ。もうそういう話をする時代じゃないし、僕もそういう年代じゃなくなったということです。やっぱり同年代で死んじゃった友達も沢山いるわけで、モテる・モテないなんて言ってる場合じゃないっていうことね。

―僕はてっきりWEB媒体ということで、炎上を避けようとされたのかなと。

大槻:興味がないんだ。でも確かに昔みたいなノリで喋ってたら、今はダメなんだろうね。かつてはアウトサイドを歩いてる人のホラ話を楽しむっていうエンタメがあったんだけど、ネットができてからすべて叩かれるようになっちゃった。たぶん、こういう流れは格闘技から始まってると思うんですよ。やっぱり武道、格闘技の人って、昔は、ホラを吹いてナンボなところがあったじゃない? 大山倍達はゴリラと戦ったとか、ホントかよ!?っていう話ばかりなんだけど、あれは男の夢を語ってるわけだから。俺も大山総裁みたいに強くなれればな〜って。でも今は、そういう豪傑のドリームを楽しむ前にスマホで検証できるでしょう。まぁ、意外と検証してみると、あっと驚くVSゴリラの真実が浮かび上がってくることもあるんだけど……ってこれ、また音楽の話ではないよね?(笑)

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