細野晴臣LA公演レポート マック・デマルコも交えたデビュー50年目の「回答」

LA公演での細野晴臣とマック・デマルコ(Photo by 飯田雅裕)

ここにきて海外での評価が高まるなか、5月時下旬から6月頭にかけて行われたニューヨーク・ロサンゼルス公演も大成功させた細野晴臣。今回はその米国公演から、6月3日に行われたロサンゼルス公演の公式ライブレポートをお届けする。

ロサンゼルスのダウンタウンにあるMayan Theaterは1927年に建設された歴史的なコンサート・ホールだ。「マヤ風」の名前の通り、メキシコのマヤ文明から着想を得たエキゾチックな仕様が施されていて、LA特有のパームツリーの木立と相まって、今夜のライヴへの期待感をよりいっそう膨らませてくれる。

細野晴臣のソロとしての初のアメリカ・ツアー。ニューヨークでの二日間公演に続き、ここLAが今回の最終公演地となった。Mayan Theaterのキャパシティは公式には1700人と発表されている。ウィークデイ、しかも月曜日に日本人アーティストがこれほどのキャパをソールドアウトさせ、しかも観客の大半がアメリカ人なのは異例中の異例だそうだ。開演前には入り口から交差点まで長い行列もできていた。

はっぴいえんどで細野はアメリカへの憧れを胸にここLAでレコーディングをした。イエロー・マジック・オーケストラが斬新なテクノ・サウンドで世界を熱狂させるきっかけが作られた最初の海外公演もLAだった。そしていま、ミュージシャンとしてのプロ・デビューから50年目にして細野がソロ・アーティストとしてLAにいる。3つの違うペルソナがひとつの筋になってこの土地で交わるという事実には、ニューヨーク公演とはまた違った種類の高揚があったのではないだろうか。

客席には、若き細野の才能を見出した村井邦彦、はっぴいえんどのLAレコーディングでの出会いを契機に交友が続くヴァン・ダイク・パークス、そして長年の盟友である高橋幸宏、小坂忠、金延幸子らも駆けつけ、登場を見守っていた。オープニングDJは、細野にとって最新の若い友人のひとり、水原佑果が務めた。




Photo by 飯田雅裕

客電が落ち、まずは細野のバックバンド(高田漣、伊賀航、伊藤大地、野村卓史)が先に登場して、インスト曲「Si Tu Vois Ma Mere」を奏ではじめた。まるで往年のハリウッド映画のプロローグにも思えたのは、かの映画の都との距離が近いからだろうか。そして喝采とともに細野が登場。僕らにはおなじみのシーンだが、細野のスマートな体型と軽やかな足取りは多くの観客が思い描いていた「71歳のファーイースト・レジェンド」とは少し違っていたかもしれない。大きな歓声には、そういう率直な驚きも込められていた気がする。

細野が最初に歌ったのは、17年のアルバム『Vu Ja De』に収録されていた「Tutti Frutti」。18年にシアトルのLight In The Atticから72年の『HOSONO HOUSE』などソロの5作品が全米リリースされていたし、今年の最新アルバム『HOCHONO HOUSE』は、その『HOSONO HOUSE』のセルフカヴァー盤なのだから、そこからの曲で始めて早々に好反応をつかむ手もあったと思うのだが、あえて細野は「The Song is Ended」「Down The Road A Piece」「Back Bay Shuffle」とアメリカン・ミュージックのカヴァーをその後も続けた。

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