発売禁止になったビートルズの「ブッチャーカバー」にまつわる裏話

不本意ながら、リヴィングストンはカバーの生産を指示した。100万枚分のアルバムカバーの4分の3が印刷され、1966年6月15日の発売日に先立ち6万枚が各メディアの担当者や小売店に送られたという。予想通り、多くの人は残虐なカバーに対する拒否反応を示した。「ディーラーたちが扱いたくないという話が、すぐに聞こえてきた。彼らはあのアルバムを店に並べようとしなかった」とリヴィングストンは言う。一方でレノンは、抵抗を続けていた。「ベトナムと同じくらい重要なことだ」と彼は当時、記者会見で語っている。「ベトナム戦争のように残虐なものが容認されるのなら、このカバーも一般に受け入れられるに違いない。」

キャピトル・レコードは、売れもしないアルバムを抱えて途方に暮れるか、カバーのアートワークを変更して有名スターを怒らせるかという困った立場にいた。ビートルズは強固に押し通すこともできたが、関係者全員が驚くべきことに、バンド側が折れたのだ。

バンドのマネジャーだったブライアン・エプスタインは、米国におけるディストリビューション契約の再交渉の真っ最中だった。今では信じ難いことだが、ほかのレーベルからのオファーはなかった。コロンビアの重鎮だったクライヴ・デイヴィスら業界内部の人間は、ビートルズは既にピークを超えていて、彼らはもはやエプスタインのやり方に従いたくはないだろう、と感じていたという。キャピトル・レコードの代理人とリスクを冒して交渉する代わりに(カバー写真を嫌っていたとされる)エプスタインは、新たな写真を撮るようビートルズを説得した。撮影はまたウィテカーで、古臭いスチーマートランクをメンバーが囲むショットを撮った。「無一文だが楽天的な4人組といった酷い姿をした我々の写真を、カバーにされた」とレノンは、10年後に不平をこぼした。

1966年6月14日、キャピトル・レコードは「回収大作戦」と銘打った大規模リコールを始めた。小売店や評論家らへ手紙を送り、アルバムを直ちに送り返すよう依頼した。「英国で制作されたオリジナルのカバーは“ポップアート”に対する風刺のつもりでした」とリヴィングストンは手紙の中で説明している。「しかしながら、米国における一般の意見をヒアリングした結果、カバーデザインが誤解を招く可能性があるという結論に達しました」とのメッセージを送った。回収作戦は概ね成功したものの、一部の小売店は許可なくフライングして1日早く販売してしまっていた。

キャピトルの4つの主要プレス工場では、週末も休みなく新しいカバーへレコードを封入する作業が続けられた。内部メモによると、5万枚の“ブッチャーカバー”が穴の中に廃棄され、上から水と泥とゴミを投入して埋められたという。最終的に、既存のカバーの上に新たなデザインのカバーを貼り付けるという合理的なアイディアが出された。時間だけでなくコストも削減でき、予定より5日遅れの1966年6月20日に、当たり障りのないカバーの『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』が店頭に並んだ。カバー騒ぎにもファブフォーに対する大衆の情熱は冷めることなく、アルバムはビルボードチャートでナンバー1を獲得した。しかしリコールには20万ドル以上のコストがかかったため、キャピトル・レコードで唯一赤字になったビートルズのアルバムとされている。

キャピトル・レコードは、貼り付けの手間をかける必要がなかったかもしれない。上から新たなカバーを貼り付けた話は口コミやアングラメディアの間に出回り始め、やがて新しい“トランクカバー”を蒸気で剥がして禁制のカバー写真、つまりビートルズから忠実なファンに対する秘密のメッセージを露わにするのがお決まりとなった。禁断の果実はその希少性からより一層甘さを増し、神話はバンドが活動を停止した1970年以降も長く続いた。「とんでもないコレクターズアイテムを生み出した」とリンゴ・スターは、ドキュメンタリー『ビートルズ・アンソロジー』の中で振り返っている。「正直に言うと、僕は1枚も持っていない。当時は“保管しておいた方がいい”などと考えもしなかったからね」という。しかし保管していた人は多く、今日まで取引が続けられている。

コレクターのほとんどは、いわゆる“初版盤ブッチャー”を求めている。つまりリコールを免れたオリジナル盤だ。しかし新しいカバーを貼り付けられた“ブッチャー第二版”もまた、高値が付いている。ブッチャーカバーの見分け方やアルバムの価値、そして上手に剥がして“ブッチャー第三版”を作る方法などを説明するウェブサイトもある。馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが、お金は正直だ。2016年2月、シュリンクラップされた“初版盤”が驚くことに12万5000ドル(約1360万円)で取引された。価値の低い“第三版”ですら、数千ドルで取引されている。

“ブッチャーカバー”の遺した価値は、金銭的なものを遥かに超えている。ウィテカーはシュールな写真で、ビートルズを人間化するという目標を達成した。ただし、彼の望んだやり方ではなかったかもしれない。公然とアヴァンギャルドを受け入れ、マニアの旗を掲げることで、ビートルズはメディアの寵児としての役割を超越した。ウィテカーは、無邪気なおふざけが、愛嬌があるとは言えない方向へと向かう貴重な瞬間を捉えた。4人の反抗的な若者が当時の状況に疑問を投げかけ、アーティストとしてリスクを厭わずに声を上げた瞬間だ。ブッチャーカバーは不気味で醜く、グロテスクですらあるかもしれない。しかしこれがリアルなのだ。

Translated by Smokva Tokyo

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