発売禁止になったビートルズの「ブッチャーカバー」にまつわる裏話

3枚目の写真では、ジョージ・ハリスンが、至福の表情をしたジョン・レノンの頭にクギを打ち込もうとしている。有名人に対して抱かれる幻想とは裏腹に、彼らは木片のように頑丈でリアルな存在だ。「ジョンだったら、木版に見えるように木目の入った透明フィルムを貼り付けたかもしれない」とウィテカーは後に振り返っている。「さらに海のあるべき場所に空を描き、空のところに海を持ってきて水平線を描きたかった。」

彼の壮大なコンセプトにもかかわらず、或いはそれ故に、モップトップのイコンは未完成のままとなる運命にあったのだろう。今日に至るまで理由は明らかになっていないが、カバー写真の候補として“ブッチャー”ショットのみがレコードレーベルへ提出された。「彼らの手元には、問題を解決すべきほかの写真がなかった。それで大騒ぎになり、多くの人を怒らせる原因となったのだと思う」とウィテカーは、モジョ誌とのインタヴューで嘆いた。

春から夏になる頃、レコードレーベル内では、8月に行われる予定のビートルズの北米ツアーに先駆けてアルバムをリリースしたいという気持ちが高まっていた。革新的なアルバム『リボルバー(Revolver)』は完成までに程遠い状況の中、レーベルは急場しのぎの対応を取る。キャピトル・レコードでは、ビートルズの英国盤アルバムから数曲を削り、“ニューアルバム”として米国市場へ投入するのが常だった。ビートルズもキャピトル・レコードも、このやり方で大儲けしてきた。しかしバンド側は、レーベルからの芸術面への干渉を快く思っていなかった。

アルバム『イエスタデイ・アンド・トゥデイ(Yesterday and Today)』には、『4人はアイドル(Help!)』や『ラバー・ソウル(Rubber Soul)』の米国盤でカットされた楽曲を収録し、時間的に足りない分を最新ヒットシングルと『リボルバー』のレコーディングセッション用にレノンが書いた新作3曲で補った。カバー写真の提供を求められたビートルズは、即座に“ブッチャー”ショットを提出した。今日では、キャピトル・レコードが米国盤をリリースする際にオリジナルアルバムの曲順を入れ替えるなどして“解体(butchering)”していたことへのバンドの当て擦りだった、と主張するファンも多い。しかしウィテカーは「くだらない。全くのナンセンスだ」として、この見方を完全に否定している。

キャピトル・レコードの当時の代表アラン・リヴィングストンは、自分のデスクに置かれたアルバムのカバー案を見て激怒した。「カバーを見た時に私は、“いったいこれは何だ。こんなものをリリースできるか?”と思った」と、モジョ誌に語っている。「販売担当部長らに見せると、彼らはOKを出した」という。リヴィングストンはロンドンへ緊急電話を掛け、バンドに対しカバー案を考え直すよう嘆願した。「私の連絡相手はポール・マッカートニーと一緒にいることが多かった。彼は頑固で、そのまま進めるべきだと主張していた。彼は“カバーは戦争に対するバンドの批判だ”と言っていた」とリヴィングストンは振り返る。発言の意味がビートルズ以外の人間にも伝わったかどうかは疑問の余地があるが、ブッチャーカバーはビートルズが発した初めてのベトナム戦争に対する公然の抗議だった。

サンプル

マッカートニーが実質的なバンドのスポークスマンだったが、レノンは扇動者を自称していた。「僕が(ブッチャーカバーを)推進した張本人と言える。特にあの写真は、僕らのイメージを壊すためにもアルバムカバーにしたかった」とレノンは1974年に振り返っている。同写真は既に英国内でビートルズのニューシングル『ペイパーバック・ライター(Paperback Writer)』のプロモーションのために使用され、特に問題も起きていなかった。しかしアルバムカバーともなると、より注目を集めることは間違いなかった。「僕らは、いわば天使のように思われていた。僕としては、僕らが生命というものをちゃんとわかっていることを示したかった。」

Translated by Smokva Tokyo

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