研究室育ちの鴨ムネ肉、その味は? スタートアップも続々参入する代替肉産業の内幕

動物細胞の生命の証

カーズウェル氏のチームが熱心に取り組んでいるのは、非動物由来の成分で成長血清を生成すること。生成は成功したものの、手軽な価格で、かつ大量に生成する方法を見つけるまでには至っていないのだ。ひとたび選別された細胞はバイオリアクターにかけられる。言ってみれば、超高性能の保温調理器のようなもので、ここで細胞は特別に配合された培養液を与えられる。ポンプによって、栄養素と酸素が細胞の海(1立法センチメートル当たり数十億)の隅々に絶え間なく送られる。細胞が成長するにつれ、与えられる栄養も成長段階に合わせて変化する。まだ若い細胞には、再生を促進するための特別な栄養素が必要だ。何時間も何時間も細胞はひたすら伸長し、細胞同士が隣りあって成長する。成長した筋肉細胞は長い鎖を形成し、肩を寄せ合い、結合しながら端から端をつないでゆき、次第に層を重ねていく。鎖と層の織り成すさまは、日本の浮世絵の波立つ海のよう、あるいはヴァレティの言葉を借りれば、「ゴッホの絵画のうねり」のようだ。

いったん成長が成長したら、次は体積を増やさなくてはならない。したがって、栄養素もタンパク質と脂質のシンプルな配合へと変化する。牛の飼育場で行われているのとほぼ同じプロセスだ。子牛は栄養豊富な餌を与えられて成長したあと、肥育場へ移され、高カロリーの食事で体重を増やしていく。収穫の時期を迎えると、細胞に与えられていた培養液がバイオリアクターから取り除かれ、培養細胞はヴァレティ氏が言うところの「融合した肉の塊」となって取り出される。結果的に出来上がったものは、いわゆる細胞の寄せ集めではなく、融合した組織の層からなるひとつの構造体、屠殺した動物から切り分ける肉塊と同じだ。培養肉の場合、細胞自体は近くしていないだろうが、厳密には収穫時点でまだ「生きている」。すぐに冷凍保存することで、細胞は「死んだ」状態になる。「どの時点で組織が死んだと判断するかは、仮死状態、つまり細胞がもう酸素を取り込まなくなった時点で判断します」

私が収穫前の動物細胞の生命の証を見たがっているのを察知したのだろう。彼はノートパソコンを開いて、シャーレの中の培養牛肉組織の動画を見せてくれた。ジェノヴェーゼ氏が顕微鏡にカメラを搭載して撮影したものだ。「刺激に反応して、ときにはほぼ同時に、収縮が起こります――電気ショックのようにね」とヴァレティは言い、「細胞を刺激するために」時にはシャーレにカフェインを加えることもあると付け加えた。モノクロの映像が流れる。シャーレの底に牛肉のカルパッチョのかけらのようなものが見える。ピクリとも動かない――と次の瞬間、それがけいれんした。筋肉の繊維は、まるで小さな輪ゴムを引っ張って、手を離したときのような動きをした。予想はしていたものの、やはり息をのんだ。だが、嫌悪感や恐怖は覚えなかった。怪物の身体が初めて動いたのを見たヴィクター・フランケンシュタイン博士というよりは、鏡をすり抜けたアリスのような心境だった。今まで存在すら知らなかった無限の領域に足を踏み入れたのだ。

Translated by Akiko Kato

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