1970年代から現代まで、LGBTQを讃える名曲26選


ヴィレッジ・ピープル「Y.M.C.A.」(1978)

ヴィレッジ・ピープルは奇抜なグループでも、一発屋でもない。フランス人のジャック・モラリによって「強く、ポジティブな、アメリカ人のステレオタイプを体現したような」グループとして集められたと、グレン・ヒューズ(バイカー)が1979年4月、ローリングストーン誌の巻頭特集で明かした。彼は「“アメリカ人”と言う神話に、限りなく沿った」とも語っている。結成当初、6人はゲイクラブでキャリアをスタートさせたが、一連のヒットを受けて、全米ツアーやTV出演を果たし、ディスコでもお馴染みの顔となった。全世界で1000万枚以上売り上げたこの楽曲は彼らをスターダムにのし上げ、楽曲の内容は暗に男性同士の関係を示唆しているものであるにもかかわらず、今現在も結婚式や成人式の定番曲となっている。先に挙げたローリングストーン誌の巻頭特集では、何人かのメンバーは自身のセクシャリティに関して語るにあたって、消極的であった(1979年のことだから、当然だろう)。しかしデイヴィッド・ホードー(道路工事人)は「Y.M.C.A.」について「俺たちは社会に対して舌を突き出しているみたいなものなんだよ」と語っていた。

シルヴェスター「ユー・メイク・ミー・フィール」(1978)

プリンスに対して大きな敬意を払ってはいるが、シルヴェスターは近年ポップミュージック界において、最も汚れなく、卓越したファルセットを持つシンガーと言って良いだろう。 ジュディス・バトラーが活躍する以前にジェンダーフルイド、ノンバイナリージェンダー、そしてゲイであることにも オープンだったシンガー(パフォーマンスにおいても、プライベートな生活においても)は、控えめに表現しても「ディスコの女王」である。自身のゴスペルのルーツが、シルヴェスターを駆り立てて曲を書かせ、並外れた歓喜の歌を作ることに繋がったのだ 。実直で、AIDS患者やその病気に対して、認知度向上や患者の支持など様々な活動のため資金を募っていた彼は1988年、44歳と言う若さで、AIDSの合併症でこの世を去った。それから30年を過ぎた今でも、彼の楽曲は私たちを踊らせてくれる— —少しの涙とともに。

クイーン「ドント・ストップ・ミー・ナウ」(1978)

クイーンのファンの大部分はフロントマンのフレディ・マーキュリーがステージ上の存在感がいかに堂々としていてオープンであったとしても、その事実に対して無知であったようだ。彼のフレディは隠そうとしなかったのに。1978年にアルバム『ジャズ』をリリースしたクイーンはまさに過渡期であり、小さなクラブからスタジアムへのし上がり、世に出すすべてのシングルがチャートの上位へと羽ばたいていった。「ドント・ストップ・ミー・ナウ」は『ジャズ』のリードシングルであり、バンドの象徴とも言える多重録音のハーモニーを採用した楽曲ではあるが、アメリカでは最高位86位と、予想していたほど奮わなかった。しかしイギリスではトップ10にランクインを果たす。「だからみんなは僕をMr.ファーレンハイトと呼ぶんだ/光の速さで旅をする/君を超音速の男にしてあげたいな」という歌詞にもあるように、少年たちが自らを曝け出す準備が整ったことを匂わせる内容になっている。

Translated by Leyna Shibuya

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