ドクター・ジョン逝去、音楽を愛しニューオーリンズを世界へ伝えたレジェンドの生涯

Michael Ochs Archives/Getty Images

米現地時間6月6日、ファンクとR&Bとブギウギを融合させたロックの殿堂入りミュージシャン、ドクター・ジョンが逝去した。享年77歳だった。「独自のブレンドで作り上げた音楽の中心で、彼自身の心もそうだったように、生まれ故郷ニューオーリンズが常に息衝いていた」と、マルコム・ジョン・レベナックとして生まれ、グラミー賞を受賞するほどのミュージシャンとなったドクター・ジョンの家族は語る。

ドクター・ジョンとして有名なニューオーリンズのピアニスト兼シンガーソングライター兼プロデューサーのマック・レベナックが、米現地時間6月6日木曜日に他界した。家族によると死因は心臓発作だったという。

「2019年6月6日、夜明けが近づく中、音楽レジェンドであるマルコム・ジョン・レベナック・ジュニア、芸名ドクター・ジョンが、心臓発作で他界しました」と、ドクター・ジョンの家族が声明を出した。「ロックの殿堂入りを果たし、6度のグラミー賞受賞歴のあるソングライター、コンポーザー、プロデューサー、パフォーマーとして活躍し、彼独自のブレンドで作り上げた音楽の中心で、彼自身の心もそうだったように、生まれ故郷ニューオーリンズが常に息衝いていました。家族は彼のユニークな音楽の旅路を共有してくれたすべての人たちに感謝するとともに、今は家族のプライバシーを尊重するようにお願いいたします。告別式等は後日改めてお知らせします」

70年代のソロ作品と「ライト・プレイス・ロング・タイム/Right Place, Wrong Time」などのラジオでのヒット曲で広く知られているレベナックだが、彼の音楽キャリアはポップ・ミュージックの歴史と重なる部分も大きい。彼は60年代にロサンゼルスで大活躍した凄腕セッション・ミュージシャン集団「レッキング・クルー」で中心的な役割を果たしていた。当時の彼はファンク、R&B、ブギウギを融合させながら、シェール、アレサ・フランクリン、キャンド・ハート、フランク・ザッパなど、数えきれないほどのアーティストの音源で演奏した。

レベナックが自分の作品を発表し始めたのが1968年で、デビュー・アルバムは『グリ・グリ/Gris-Gris』である。このとき、のちに伝説となるキャラクター「ドクター・ジョン・クロー・ザ・ナイト・トリッパー」が誕生した。そして奇抜なステージにブードゥー要素を取り入れて、あっという間にフォロワー数を増やし、アメリカ全土にニューオーリンズの音楽を紹介した。

Translated by Miki Nakayama

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