早すぎる死を遂げた、音楽史に残る偉人名鑑

ジョージ・マイケル

Michael Putland/Getty
2016年没 享年53歳


ジョージ・マイケルはほとんど人前に出ない生活を送り、ツアーにでることもほとんどなかったので、2015年から2016年にかけて彼が世間に姿を表さなかったことを気に留める人はあまりいなかった。肺炎と激しい胸の痛みで2011年のツアーは多くの日程をキャンセルせざるを得なかったが、彼はまだ50代前半で実際そのような致命的な状態であるようには感じられなかった。そんな中、2016年のクリスマスに彼がイギリスのゴリン・オン・テムズの自宅のベッドで亡くなっているが発見されたのは本当にショッキングなことであった。検死の結果、元ワム!のフロントマンである彼には拡張型心筋症の症状があったことが明らかになった。彼の死は世界に衝撃を与え、いろいろとゴシップはあったが彼が歴史に残る偉大なポップ・シンガーであり、それが変わる時だと感じるとどんな大きな成功からも離れることをいとわないようなアーティストだったということを、多くのファンに一瞬で思い出させたのである。「彼は非の打ち所がない才能を持っていた。それはこれからも輝き続け、次世代に影響を与え続けるだろう。ジョージは曲の中に、卓越した美しい声に、そして魂を込めた詩的な表現に、彼のすべてを残したんだ」とワム!の元パートナー、アンドリュー・リッジリーは彼の死後に語っている。

クリス・コーネル

Gie Knaeps/Getty
2017年没 享年52歳


サウンドガーデンが5月17日にデトロイトのフォクス・シアターに着いたのは彼らの2017年のツアーの12日目のことだった。その日はヒット曲(「ブラック・ホール・サン」、「スプーンマン」)やコアなファンが好む曲(「スレイヴズ&ブルドーザーズ」、「アグリー・トゥルース」)、そして2012年の復帰アルバム『キング・アニマル』からの曲を演奏した、特に波乱もないライブであったが、時折、フロントマンのクリス・コーネルは心ここにあらずというような感じを見せた。しかし、サウンドガーデンやテンプル・オブ・ザ・ドッグ、オーディオスレイヴ、そしてソロで数々の記憶に残る曲の原動力となり、その世代の中でも最もすばらしいボーカリストの1人としての地位を確立した彼の激しい歌声はそんな日でさえもそれまでにも劣らないパワフルなものであった。

ライブが終わると彼はMGMグランド・デトロイト・ホテルの自室に戻り、ボティーガードとホテルの従業員にApple TVを直すために手を借りていた。そして、その真夜中、彼はエクササイズ用の赤いゴムバンドをバスルームのドアの上に引っ掛け首を吊った。薬物検査の結果、彼の体内からはアティヴァンや鎮痛剤のブタルビタール、睡眠薬など複数の薬物が検知された。その数年はかなり良くなってきていたと感じていたが、彼は大人になってからはほぼずっと薬物依存と鬱病と戦っていた。その知らせはロック界に衝撃を与えた。「彼は単なる友達ではなかった。兄のように憧れている人だったんだ」とエディ・ヴェダーは語っている。

チェスター・ベニントン

Daniel Knighton/Getty
2017年没 享年41歳


ベニントンはこの年の6月に亡くなった時、キャリアのピークにいた。リンキン・パークの7枚目のアルバム『ワン・モア・ライト』は(5回目となる)ビルボード・チャート1位を獲得し、スタジアムとアリーナを回る北米ツアーに出るところであった。2000年に商業的大成功を収めブレイクのきっかけとなったデビュー作『ハイブリッド・セオリー』がリリースされた時からベニントンは世代を代表するシャウト声を持っていた。また、彼はサイドプロジェクトのデッド・バイ・サンライズやオールスター・カバー・バンドのキングス・オブ・カオス、そしてストーン・テンプル・パイロッツのスコット・ウェイランドの後任としても歌った。「天使と悪魔が両肩に乗ってるような感じなんだ。彼が歌うとその2つの間にあるテンションが感じられる。これほど多くの人が彼の音楽に惹きつけられるのは彼がその2つの間のバランスをうまくとっているからなんだと思う」と俳優でありサーティー・セカンズ・トゥ・マーズのフロントマンであるジャレッド・レトは以前語っている。しかし、彼はその成功にもかかわらず内在する悪魔と戦っていた。彼は子供の頃、性的虐待を受けていて、その結果、10代でアルコールとドラッグに手を出すようになり、鬱病と薬物依存が大人なった彼について回った。にもかかわらず彼は強気な自信を見せており、それが余計に彼の死に謎を残すこととなった。首吊りによる自殺と発表されると、彼の友人たちは彼がその半年間はしらふだったと言い、また、デッド・バイ・サンライズの元バンドメンバーの1人は彼の中の悪魔が彼からコントロールを奪ったのだろう、とローリングストーン誌に語っている。ベニントンは稀代の弱さと情熱を持った音楽的財産を残していった。

Translated by Takayuki Matsumoto

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE