早すぎる死を遂げた、音楽史に残る偉人名鑑

音楽の歴史を変えたミュージシャンの早すぎた死を回想(Rolling Stone)


ジミ・ヘンドリックス

David Redfern/Redferns
1970年没 享年27歳


ヘンドリックスの壮大すぎるほどのファースト・スタジオLP『アー・ユー・エクスペリエンスト?』の1967年春リリースからわずか3年後に彼が亡くなるまでの間に、他のギターの神たちの評価の基準となるようなギターの神となった。ただ何より印象的なのはその才能が自然に溢れ出てきているように感じられるところである。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロは「彼の演奏には努力が見えない。彼のキャリアには1分たりとも頑張ってやったという感じがする瞬間がない。ただただそれが流れ出てきているように感じる」と以前語っている。モントレーでギターに火をつけたりしたように、彼は音楽的にも視覚的にも華々しいハード・ロックな“見せ方”を知っていた一方、「砂のお城」のように心に触れる自省録的な曲をプレイすることもできた。彼の最後のアルバム『バンド・オブ・ジプシーズ』ではファンクをも探求している。ウッドストックで強烈でサイケデリックなアメリカ国歌の演奏を見せた1年後、彼は遺体となって発見された。彼は麻薬常習者と知られていたが表面上は睡眠薬を摂取した後、自身の嘔吐物によって窒息死したとされており、公式は事故という見解を示しているが自殺の可能性も否定はしていない。死後も定期的にリリースされる音源やドキュメンタリー、映画のおかげで彼は何世代にも渡るギタリストたちに影響を与え続けている。「ヘンドリックスの演奏をミュージシャンたちが愛して止まない理由は、それが彼の頭と心からそのまま出てきているからだと思う。彼はギターと“秘密の関係”を持っていて、信じられないほどにテクニカルで音楽理論を大事にしているが、それが彼の理論だったんだ。そこには彼らしさしかなかった。その理論がそれ以降ずっと使われ続けているんだ」とジョン・メイヤーは以前語っている。

ジム・モリソン

Michael Montfort/Michael Ochs Archive/Getty
1971年没 享年27歳


ザ・ドアーズのファンにとってジム・モリソンの破天荒な振る舞いとステージ・パフォーマンスは、その強い影響力を持ったサイケデリックなロック・バンドの魅力の1つであったかもしれないが、亡くなる数ヶ月前からのその“トカゲの王”のライフスタイルが彼の死に拍車をかけた。短いキャリアではあったが、モリソンは砂漠の旅やギリシャ神話についてユーモアを交えて気ままに歌い、典型的なハンサムな顔立ちとロマンチックで感情豊かな声でサイケデリック・ムーブメントを代表するシンガーとなった。彼は彼の曲のように生き急ぐような生き方をし、LSDなどのドラッグも蔓延していたが、モリソンの悪癖の主たるものはアルコールだった。ロック界で最も成功しているバンドの1つに挙げられるようになってから2年が経った1969年までに依存症によって体に大きなダメージが出始め、ライブでの振る舞いはますます暴力的で不安定になり、フロリダでは公然わいせつ罪で逮捕されるまでに至った。1971年には彼はガールフレンドのパメラ・カーソンとパリに住んでおり、彼女がバスタブの中の彼の遺体を発見することとなった。検死は行われなかったがその27歳のシンガーの死因は心不全であることが公式に発表された。「(生きていたら)彼が音楽を作るのを止めることは決してなかっただろう。主に裁判と、騒がれることから距離を置き、疲れを癒やすためにパリに行ったんだ」とザ・ドアーズのメンバー、ロビー・クリーガーは2013年にローリングストーン誌に語った。1974年、カーソンもヘロインのオーバードーズで同じく27歳で亡くなった。


デュアン・オールマン

Michael Ochs Archives/Getty
1971年没 享年24歳


デュアン・オールマンは10月29日の夕方頃、ジョージア州メイコン近くをハーレーで出発した。当時の彼とオールマン・ブラザーズ・バンドのメンバーには息抜きの時間を取る正当な理由があった。2ヶ月前にキャリアを決定づけるようなすばらしいライブ・アルバム『フィルモア・イースト・ライヴ』がリリースされ、バンドの評判が確かなものとなった。オールマンは短い休暇を終え、バンドは次のアルバム『イート・ア・ピーチ』の仕上げに入るところであった。オールマンはヘルメットを着用していたがトラックを避けよう急に進路を変えたことでバイクから投げ出され、そのバイクが彼の上に直撃し、甚大な内蔵損傷によって彼は亡くなった。

彼はそれまでに様々なクリエイティヴな経験をしていた。弟のグレッグと一緒にいくつかのバンドもし、アレサ・フランクリンやウィルソン・ピケットのレコードで蜂が刺すような演奏もし、そして、ブルース、カントリー、ジャズ、ロックを混ぜ合わせた、今やアメリカで最も勢いのあるバンドのリーダーになっていた。オールマンはヘンドリックスのようにサウンドを変化させたり、エリック・クラプトンのように厳格に伝統を重んじたりするようなギタリストではなかったが、クラプトンのアルバム『いとしのレイラ』でデレク・アンド・ザ・ドミノスとゲストとして彼のパートを演奏した時の彼はクリーンで簡潔ではあるがワイルドさも持った、自分の楽器を知り尽くしたギタリストであった。「今に至るまでR&Bの音源において彼以上のロック・ギタリストを聞いたことはない」とクラプトンはピケットのバージョンの「ヘイ・ジュード」でのオールマンのギターについて語っている。オールマンの最後の音源となった、流れるようなギターのオールマン・ブラザーズ・バンドの「ブルー・スカイ」や穏やかなインスト曲「リトル・マーサ」からは音楽に明るい未来すら感じられた。

グレッグは自伝『マイ・クロス・トゥ・ベア』で「彼はとても知性的だった。今、彼が何に興味があるのか知ることができたらうれしいね」と綴っている。

マーク・ボラン

Keith Morris/Redferns
1977年没 享年29歳


ロックのパイオニアであるボランは彼のバンド、T・レックスのスペーシーなサウンドと神秘的な歌詞と性別を超越したスタイルで、デヴィッド・ボウイのようなアーティストの先駆けとなり、私たちが知るグラムの土台を作った。ボランは70年代のロックのサブカルチャーの発展のシンボルとなり、T・レックスは『電気の武者』などのアルバムで成功を手にした。「私がマークの中に見たのは手が加えられていない才能だった。出会ってすぐにマークのロックスターの素質を感じた」とプロデューサーのトニー・ヴィスコンティはガーディアン紙のインタビューで語っている。彼のバンドとキャリアは1970年代中期に勢いを失ったが、彼は1977年に『マーク』というTV番組の司会を務めることとなり新旧様々なミュージシャンたちを呼んで一緒に演奏した。ボウイとボランが一緒に「ヒーローズ」を歌った最終回の収録の1週間後、彼の30歳の誕生日の2週間前であったが、妻のグロリア・ジョーンズが運転していた車を制御でなくなり事故を起こし、一瞬で彼の命は奪われることとなった。

Translated by Takayuki Matsumoto

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE