ハリウッドが生んだ変人、ジョン・マルコヴィッチの貴重なインタビュー

Netflixのオリジナルムービー『ベルベット・バズソー:血塗られたギャラリー(原題:Velvet Buzzsaw)』に出演したジョン・マルコヴィッチ(Claudette Barius/Netflix)


13歳になる頃までにマルコヴィッチの身長は約6フィート(約183cm)に達し、体重は標準より30kg以上オーバーの太った体型だった。Dairy Treatで一緒にたむろするような友人はいなかったが、いつでもガールフレンドはいた。また彼はアスリートとしても優秀で、野球ではピッチャー、フットボールではディフェンスタックルを務めた。しかしある時彼は、自分のぜい肉をどうにかしなければと思い始めた。その後6カ月間彼はJell-O(ゼリー)だけしか口にせず、ぜい肉を全部落とした。体型のせいで“ふとっちょ”、“ファットボーイ”、“子ブタ”などと呼ばれることもあったが、彼自身は太っていることを気にしていた訳ではない。「自分自身には、自分のキャパシティ以上に感受性を持てるとは思わない」と彼は明るく言う。こうやって彼は、並の愚かな人間を無力化しそうな多くのものを退けている。「全然辛くはなかった。ただうんざりしていただけだ。」

マルコヴィッチが8歳の頃に話を戻そう。彼は“トニー”という名のもうひとりの自分を作り出す必然性を感じていた。「ほとんどの人が、いや、ほとんどではないか。とにかくたぶん多くの人が今とは別の人生を送りたいと願っているだろう。特に若いうちは」と彼は言う。架空の世界のトニーはジョン・マルコヴィッチとは異なり、スリムなおそらくイタリア人で、全く人当たりがよく、首にスカーフを巻くなどおしゃれで粋な人間だった。大抵の場合、トニーになりきっている時のマルコヴィッチはひとりだった。本人は、周囲の何人かに自分を“トニー”と呼ぶように言ったと記憶している。時には、ジョンでなくトニーになりきってピッチャーのマウンドに上がったが、チームの監督だった父親は気に入らなかったようだ。「帽子の折り目に気を遣う半分でもピッチングに向ければ、本当に凄いピッチャーになれるだろうに」と父親は嘆いたという。ある意味でトニーは、マルコヴィッチにとって初めての大役であり、自分自身から離れて他人になりきる初めての経験だった。

ある土曜日、マルコヴィッチは近くの街で行われたフリーマーケットへ出かけた。ベッドルームのドアノブを探していたのだ。「今付いているドアノブはツルツルしてとっても固いから」だという。何人かの友人と会いフランス語で会話したが、話題のほとんどは舞台劇についてだった。彼が興味を持ち続けてきたのは映画でなく舞台の方だったからだ。

マルコヴィッチの両親としては、彼の高校卒業後にパークレンジャーになってくれるのを期待していた。しかし彼はイリノイ州立大学へ進学し、初めて演劇に興味を持つことなる。1976年にはシカゴでジョーン・アレン、ゲイリー・シニーズ、後に妻となるグレン・ヘドリーと共にステッペンウルフ・シアター・カンパニーの設立に協力。上演したサム・シェパード脚本の『True West』はその後ニューヨークへ展開し、マルコヴィッチはオビー賞を受賞した。1984年のブロードウェイ・デヴュー作『セールスマンの死(Death of a Salesman)』ではビフを演じ、共演者の中にはダスティン・ホフマン(ウイリー役)がいた。

オーディション当日、ホフマンと脚本家のアーサー・ミラーはブロードハーストシアターの6列目に座り、あまり期待せずにボサボサ頭で足の汚い奇妙な男が演じるのを見ていた。ホフマンの記憶によると、マルコヴィッチは「私に興味はないでしょうが、その時は私に向かってうなずいてください。私は退場します」と言って演技に入ったという。

「私のシナプスにぴったり当てはまった瞬間だった」とホフマンは証言する。「彼は手に持ったタバコを吸い、とてもソフトに台詞を読み上げ始めた。私は魅了された。彼の演技は、他の誰もしたことのないものだった。初めは赤面した詩人のようでありながら、労働者階級の特徴をよく伝えている。アーサーは私の方を見て驚きの表情でただ頷いてみせた。もうそれで十分だった。以上だ」とホフマンは深く息をつく。「正直に言うと、あの時の事を思い出すとこみ上げてくるんだ。」

同年、映画でも大役を得た。『プレイス・イン・ザ・ハート(Places in the Heart)』で彼は盲目の下宿人を演じ、初めてオスカーにノミネートされた。サリー・フィールドは彼を祝福し、彼女の出演するテレビ番組のスピンオフとして製作されたアルバム『The Flying Nun Sings』を贈った。もらって嬉しいと思う人間は多くないと思うが、彼女は「冗談でしょ? 彼は気に入ってくれたわ! 彼は“早く家に持ち帰って聴きたい”と言っていたわ。彼は大切にすると言ってくれたの。私はとにかく彼に贈らなきゃと思ったの。彼はとてもユニークな人よ。」

その後数年間、マルコヴィッチは『危険な関係』をはじめその後の『マルコヴィッチの穴』でマルコヴィッチ・コールが起きるほどカルト的な魅力の中心となるまで、当初はややぼんやりとしながらも着実に歩みを進めた。脚本家のカウフマンにとって、この流れは不思議な事ではなかった。「彼を初めて見たのは『True West』の録画テープだった」とカウフマンは言う。「“これは一体何だ?”と驚いた。私にとってマルコヴィッチは、ロバート・デュヴァルが(マーロン)ブランドを見た時に思ったように“そんな風にもできるのか?”という感じだった。刺激を受けた。さらに彼が“私は女性らしさを持っているが軟弱な訳ではない”というような発言をしているのを読んだことがある。私はその発言にも衝撃を受けた。彼には女性らしさも感じるが、同時に強くたくましい男らしさも明らかに持っている。風変わりな人だ。彼がステージに立つと目が離せない。」

サンプル
映画『ザ・シークレット・サービス(In The Line Of Fire)』(1993年)より
Photo by Columbia TriStar/Kobal/REX/Shutterstock

同じ頃マルコヴィッチは、彼の傍若無人で常軌を逸した行動や発言が評判になり始めた。ある時、ニューヨークの街角で絡んできたホームレスに腹を立てたマルコヴィッチは、家に帰って綺麗なスーツを着替え、大きなボウイナイフ(彼曰く「父親からもらった唯一のもの」)を手に街へ戻り、「お前は何と言った? 俺にはわからなかった。俺が歩道を歩いちゃいけないって? 御婦人は歩道を使ってはいけないのか? 歩道はお前だけのものか? ちゃんと説明してみろ」と脅した。

「そんなところだ」とマルコヴィッチは今日のインタヴューで認めた。「彼のような人間は、精神的に病んでいたり何らかの事情がある事はわかっている。でもうんざりなんだ。彼のような人々は、社会に大混乱をもたらしている。」

Translated by Smokva Tokyo

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