小林雅明が論じる「リアリティTVラッパーの象徴的存在、カーディ・Bは本当に新しいのか否か?」

ラッパーとリアリティTVの関係というと、2000年にバッド・ボーイ・エンタテインメントの創設者ディディがオーディション系の番組を始めた。だが、無名の若者が出演する『アメリカン・アイドル』旋風が吹き荒れると、反対に有名ラッパーの素顔に肉薄するタイプのものが主流になり、服役当日に至るまでの数日間のリム・キムの行動を追った番組などが話題となる。

ただし、カーディのリアリティTV活動に影響を与えたのは2007年に放送が始まり、キム・カーダシアンの知名度を一気に高めた『カーダシアン家のお騒がせセレブライフ』だったのではないだろうか。セックスビデオの流出で既に有名になっていたのに、どういう人なのか知られていなかったキムにとってのリアリティTVと同じように、『Love and Hip Hop』は一般視聴者にカーディの私生活を覗き見させることで、有名なラッパーになりたい彼女のイメージを刷り込んでゆく。

ここの段階で、ラップに関することよりも、キャラの補強に力が注がれているのだから、よく引き合いに出されるニッキー・ミナージと比較してもあまり意味がない。表面的なイメージのせいで同じ部類として語られる二人ではあるけれど、ニッキーは既に無名時代にラッパーとしてスキルを十分に身につけていた状態だった。キャラの構想に入ったのはメジャーと契約後で、そこから約3年後に正式デビューを果たした。

一方、カーディのメジャー契約から3週連続1位を記録する「Bodak Yellow」でのデビューまではわずか4カ月程度。それ以前の3年が、ソーシャルメディアでブレイクし『Love and Hip Hop』に出演した期間にあたる。この間に彼女は2作のミックステープを出したが、メジャーとの契約はラップ・リスナーの間ではニッキーの時ほど話題にはならなかった。そんなリスナーでも、コダック・ブラックの名前をもじった表題を持ち、彼のフロウを拝借したデビュー曲が「Bodak Yellow」ならば、耳を貸してくれるとの思惑はあったのだろうか。少なくとも、明け透けな性的表現やエロ仕掛けで男を骨抜きにしたがる姿勢は、90年代後半からゼロ年代頭にかけてリル・キムやフォクシー・ブラウンやトリーナが既に演っていたものだし、さらに遡れば、HWA(ホーズ・ウィズ・アティチュード)、BWP(ビッチズ・ウィズ・プロブレムズ)が存在していた。カーディの成功は、歴史的にみれば、いつの時代も“この手の”女性ラッパーが求められていることの裏付けでもある。



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