自己啓発団体を隠れ蓑にセックスカルトと化した「主人」と「奴隷」の異常な関係

ニューヨークのブルックリン連邦裁判所を後にするローレン・ザルツマン(Photo by Seth Wenig/AP/REX/Shutterstock)



ラニエール被告、逮捕の瞬間

ザルツマンいわく、最終的にドアを蹴破った警察は、彼女を床に押し倒して銃を向けた。恐ろしくなった彼女がラニエール被告の名前を呼ぶと、ベッドルームに隣接したウォークインクローゼットから被告が姿を現した。ザルツマンがかつて「一番大切な人」と呼んだ男。我が恩師で、精神世界の導師で、恋人だった男。そのイニシャルを自分の脇腹に焼印してもかまわないと思った男。愛と犠牲、自己責任と勇気を教えてくれた男。その男は逮捕を前に、ウォークインクローゼットへ逃げ隠れていたのだ。

ラニエール逮捕の説明は、ザルツマンの生々しく赤裸々な証言のクライマックスを飾った。ちなみに彼女は、恐喝および恐喝未遂の罪ですでに有罪を認めている。かつてはネクセウムの最高幹部の1人だったザルツマンは疲れ果てた表情で、何十年間もラニエール被告の手の平で心理的に操られていた様子を振り返った。天才を自称する彼は信奉者をすっかり言いくるめ、しまいには彼が気候さえもコントロールできると誰もが信じ切っていた。

恐喝未遂罪1件で有罪を認めたネクセウムの共同創始者、ナンシー・ザルツマンの娘である42歳のローレン・ザルツマンは先週から証言台に立ち、ラニエール被告とのなれそめを詳しく語った。初めて出会ったのは1998年、彼女が21歳の時。2001年から性的関係を持つようになり、彼女がDOSに入会してからも、2008~2009年ごろまでひそかに関係を続けた。



「彼は私の主人でした」と、先週ザルツマンは証言の冒頭でこう語り、「彼を尊敬し、信頼していました。彼のようになりたいと思っていました」と付け加えた。彼女は被告をDroomp(男性器が大きいという意味)と呼び、被告は彼女をLorn(ローレンの愛称)またはForlorn (みなし子の意味)と呼んでいた。本人いわく「私がいつも悲しみにくれていたからです」

ザルツマンがネクセウム内で出世してゆくようになると、ラニエール被告は自分が関係を持った女性とセックスするよう促す一方、他の男性と寝ることは固く禁じた。彼女が言うには、一時期とある男性と関係を結びたいと思ったことがあり、被告に許可を求めに行ったという。「彼は私に、もしこのまま彼のそばにいるなら、関係を修復して一緒に子供を作ろう、と言いました」。是が非でも子供が欲しかったザルツマンは、しぶしぶこの条件を飲んだ。

2010年、ネクセウムの別のメンバーがラニエール被告と関係を持った。「ダニー」と呼ばれるそのメキシコ人女性は他の男性と恋に落ち、被告はこれを倫理違反とみなした。ザルツマンの証言によれば、ラニエール被告とダニーは話し合いの末、ダニーを家族と暮らす家の一室に監禁し、外部との接触を一切絶つことで同意した。この条件を受け入れなければ、ダニーはメキシコに送り返されることになっていたとザルツマンは証言した。

「こういう仕打ちを受ければ、彼女もステップアップできると彼は考えたのです」とザルツマンは証言した。「私もそうなってほしいと思いました」 当初ラニエール被告は、ダニーの監禁は数日間だけだと言っていた。だがザルツマンによれば、結局ダニーはむき出しのマットレス以外ほとんど何もない部屋に18~24か月間監禁された。

この間、ザルツマンは唯一の外部との連絡係として、ダニーの謝罪の手紙をラニエール被告に渡した。だがザルツマンいわく、被告が手紙を読むことはほとんどなかったという。ある時ラニエール被告は、自分の行いが「家族にも影響が及ぶ」ことをダニーに分からせるため、母親アドリアナをダニーの隣の部屋に監禁しようとした、とザルツマンは証言した。最終的にダニーが解放されたのは2012年2月。父親と別のネクセウムのメンバーが運転する車でメキシコ国境まで連れていかれたが、移民関連の書類は渡してもらえなかった。裁判中に読み上げられたメールの中で、ダニーは何度も書類を返してほしいと訴えたが、ネクセウム側はこれを拒否し、彼女が言葉巧みに「駆け引きをしている」と言って非難した。

Translated by Akiko Kato

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