ツェッペリン解散後にジミー・ペイジが初めて演奏した「天国への階段」を回想

ツェッペリン解散後の1983年、英ロンドンにあるロイヤル・アルバート・ホールで行われた慈善コンサートに出演したジミー・ペイジ(Richard Young/REX/Shutterstock)

1983年、英ロンドンにあるロイヤル・アルバート・ホールで行われた慈善コンサートに久しぶりに姿を現したレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ。解散後にペイジがツェッペリンの楽曲を演奏したのはこれが初めてだった。当時のエピソードと映像を回想する。

ジョン・ボーナムが突然他界した1980年9月以降、ジミー・ペイジは暗闇の中に姿を隠していた。12年前にこのバンドを始めて以来、常にレッド・ツェッペリンがペイジの生活の真ん中にあった。ボーナム急死という悲しいニュースが伝わったとき、ツェッペリンはアメリカ・ツアーの準備を着々と進めていたのだが、この出来事を受けてバンド活動は急きょ中止となる。この2年前にザ・フーもドラマーを失ったのだが、彼らは新しいドラマーを迎え入れてツアーに出た。しかし、ツェッペリンはその選択肢を選ばず、不完全なラインナップで活動を続けるのではなく、それぞれの道を歩くことを選択した。

その後、ペイジはツェッペリンのアウトテイク集『最終楽章(Coda)』の制作を行い、映画『ロサンゼルス(原題:Death Wish II)』のサウンドトラックを作ったが、1982年と1984年にコカイン所持で逮捕される(その頃、彼はヘロインも使用していると報じられたが、その件について公に語ることを現在も拒んでいる)。真実がどうであれ、80年代前半、ペイジが公の場に姿を現すことはほとんどなく、作品リリースも非常に限られていた。レッド・ツェッペリンを失った彼は自分ひとりですべきことを思いあぐねていたのである。

1983年9月20日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたARMS慈善コンサートに姿を現したペイジは、ヤードバーズでバンド仲間だったジェフ・ベックとエリック・クラプトンと共に多発性硬化症撲滅のための資金を集める手伝いを行った。このコンサートはスモール・フェイセズとフェイセズのベーシストだったロニー・レーンが主催したもので、レーン自身もこの数年前に多発性硬化症を発症していた。ちなみにヤードバーズに在籍していたメンバー3人が一緒にライブ演奏を行ったのはこれが最初で、チケット購入も熾烈な争奪戦となった。さらに、チャールズ皇太子とダイアナ妃もこのコンサートに出席した。

この夜、ジミー・ペイジの出番で演奏されたのは3曲。『ロサンゼルス』のサウンドトラック収録曲である「Prelude(原題)」、「City Sirens(原題)」、「Who’s to Blame(原題)」で、ポール・ロジャースがヴォーカリストで参加した。しかし、3曲演奏後、ペイジは観客の期待に応えるように「天国への階段」のインスト・バージョンを披露したのである。動画でもわかるように、このときの演奏は所々でかなり精彩を欠いている。その理由としては、サイモン・フィリップスの演奏があまり良くないことや、ペイジの体内に入っていたであろう化学薬品の影響が考えられる。しかし、ツェッペリン解散後にペイジがツェッペリンの楽曲を演奏したのはこれが初めてだったことを鑑みると、彼が密かに感傷に浸っていたとしても不思議はない。

このARMSコンサートはロンドンで大成功を収めたため、同年の後半にアメリカでも短期間開催することになった。また、ここでポール・ロジャースと行ったライブ演奏が、その後彼らが結成するバンド、ザ・ファームの母体となり、80年代半ばに2枚のアルバムをリリースして世界中をツアーしてまわった。だがファームは1986年に分裂し、その直後ペイジは1988年にリリースすることになるアルバム『アウトライダー』の制作に取り掛かった。これは現在もペイジ唯一のソロ作品である。近年、2枚目のソロ・アルバムの制作に取り掛かるとペイジは仄めかしているが、現在のところ、まだ作品は発表されていない。それも当然かもしれない。レッド・ツェッペリンを生きた男にとって、それ以上のものを見つけるのは至難の技だろう。





Translated by Miki Nakayama

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