ソロ20周年、LOW IQ 01にまつわる秘話20選

―ええ。では、ソロになってからの20年の秘話・トリビアをお願い出来ればと。

はいー!

その1:ソロの音源に最初の反応してくれたのはTOSHI-LOW

SSの活動が止まって、仲間のいる飲み屋にソロ用の音源を持って行ったんだけど、その音源に最初に反応してくれたのがTOSHI-LOWなんだよ。他にもBACK DROP BOMBのタカ(Takayoshi Shirakawa)とかが反応してくれたけど、TOSHI-LOWが一番最初に熱く反応してくれたかな。

その2:ソロ最初のライブはBRAHMANと

ライブに関しても最初に手を挙げてくれたのがTOSHI-LOWだったんですよ。当時ってレコ発のライブで対バンに呼んだらレコ発返しをするみたいな風習があって。SS が98年に『Don’t forget our youth』というアルバムを出した時に、うちらのレコ発に出てくれたのが、まだ若手だったBRAHMANとWRENCH。その時に何か面白いことやろうよってことで、各々の曲を一曲ずつカバーしたの。そのライブでBRAHMANはSSの「WHAT’S BORDERLESS?」という曲をカバーしてくれて。それで今度はBRAHMANが1stアルバム『A MAN OF THE WORLD』を98年に出す時に、「じゃあ今度レコ発出てください」って言ってくれたんだけど、もうSUPER STUPIDはないわけで。「じゃあLOW IQ 01ソロでバンドで出てくださいよ」って。「えー!」って言って。ライブやる気なかったんだけど、でもせっかくだし楽しそうだからやってみようかなって思ってBRAHMANの対バン相手でライブに出たのがソロ最初のライブなんです。

その3:最初のソロバンド名義「MASTER LOW」はTOSHI-LOWが名付け親

そのBRAHMANに呼ばれて出たソロ初ライブの時に、TOSHI-LOWが「バンド名どうします?」って言ってきたの。でもその時、バンド名が無くて。で、その時のアルバムのタイトルが『MASTER LOW』だったんで、「対バンMASTER LOWって書いておきました」って。え?そうなの?って(笑)。ただ、アルバム名をそのままバンド名にしちゃったから、その後結構ややこしいことが起こっちゃった。SUPER STUPIDを知らなくてMASTER LOWを見た人が、「MASTER LOWさんですよね?」って言ってくるわけ。まあ間違ってはないから「はい」って。しかも、「MASTER LOWのLOW IQ 01だよね?」みたいな感じにもなってだいぶ混沌とした謎の感じでした(笑)。その混沌のネーミングを9年間ずっとやっていたという(笑)。で、メジャーにいくタイミングでLOW IQ 01&MASTER LOWに変更しました。

その4:エイベックスからメジャーデビューした理由は……

インディー時代は、ディスクユニオンにいたんだけど、ソロも勢いが出てきて、ディスクユニオンの人から「うちは、どインディーなんで、市川くんもうちょっとメジャーに行ったほうがいいですよ。うちでは限界です」っていう感じで、良い意味で送り出してくれたの。で、ソニー、EMI、ワーナー……いろんなレコード会社の人と話したんけど、結局一番理解してくれたのがエイベックス。担当者が元々友達だったから(笑)。でも、エイベックスってロックのイメージないじゃないでしょ? だから逆に、結構好きにやらせてくれた。例えば他のレコード会社の場合、リリースのタイミングが契約であってそれがすごくネックだったの。だから、エイベックスとはずっとワンショット契約でやってたんですよ。何でワンショットかというと、音楽を自由にやりたいと思っていた人間なんで。ビジネスは後からついてくるものだと思ってたから。自分の納期で音楽を作りたかったんだよね。だからいついつまでにやってくれって言われると、すごくプレッシャーになるから避けてたんだ。

その5:自身のレーベル「MASTER OF MUSIC」の立ち上げは5分で決まった!?

エイベックスにはすごくお世話になったけど、何年かいるうちに「この会社でお願いごとばかりするんじゃなくて、これは自分で動いたほうが早いな。人任せも良くないな」って思うようになって。元々インディー畑にいてDIY精神があったので、古巣ディスクユニオンに連絡して、「ディスクユニオンで出そうと思ってるんですけど」って言ったら「はい、分かりました。でも、どうでしょう、戻るんじゃなくて一つレーベルを作りませんか」と。時間にして5分で決まりましたね。早っ(笑)。

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