ステラ・ドネリーが語るMeToo時代のユーモア「失恋や惨めさに呑み込まれることはない」

ドネリーは、父親がスタンダップ・コメディアンの副業をしていたウェールズで幼年期を過ごした。彼はユーモアたっぷりに自虐的な曲を書いており、それがドネリーに影響を与えた。彼女は、「お父さんは私に説教できないのよ、私がこんなことをしているのは、お父さんのせいなんだから」とにっこりしながら言う。彼女は15歳のときに、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーの「Kiss Me」やミシェル・ブランチの「Everywhere」といった甘ったるいポップソングをバスキングで弾き始めた。

西オーストラリア・パフォーミングアート・アカデミーに1年間通ったあと、ドネリーはカバーバンドに参加するため退学した。「カバーバンドで歌ったことは、私が知らなかった方法で声を鍛えてくれたけど、やりたくないことを見極める助けにもなったわ」と彼女は言う。「そのバンドでは、女性として性的な対象にされて、たくさん波乱万丈な経験をした。製薬会社のクリスマスパーティーで演奏したとき、誰かがステージ上に上がってきて私を触り回して、それが問題にもならないっていう、そういう類の」彼女は3年後にその仕事を辞め、パブで働き、友達のバンドで演奏するようになった。「あのパブには大勢の幽霊がいるの」と彼女は言う、かつてある殺人鬼がそのパブの常連だったことを引き合いに出して。「カーペットの上に立つとそいつらの匂いがするくらい」


Photo by Molly Matalon for Rolling Stone

車上荒らしに遭いアコースティックギターが盗まれたことをきっかけに、ドネリーはエレキギターに切り替えた。そしてすぐに、エレキでも指で演奏でき、ソングライターであり続けられると気が付いた。コートニー・バーネットとよく比較されますよねと私が言うと、彼女の顔が輝く。「彼女は、大勢のオーストラリア人女性アーティストが本音で歌える理由なのよ」とドネリーは興奮しながら言う。「私が初めて聞いた彼女の曲の出だしは、『あなたが書いた曲を聞いてオナニーした』だった。あやうく車をぶつけそうになったわ。オランダのジャーナリストに、私の曲はチャンバワンバを思わせると言われた。それに比べると、コートニー・バーネットは相当な褒め言葉よね」

Translated by Chihiro Sato

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