『アベンジャーズ/エンドゲーム』とスーパーヒーロー映画に見る<継承>の精神

左からクリス・ヘムズワース、チャドウィック・ボーズマン、クリス・エヴァンス——MCUで3つの“時代”を作り上げたMVPたちだ。(©︎Marvel Studios)



『アベンジャーズ/エンドゲーム』がMCUの歴史を振り返り、熱心なファンの知識試しをしてくるか、については驚かなないだろう。そこで重ねられるジョークや、イースターの卵に関する説明に対しても同様だ。おそらく、非論理的で、手を加えられた多様なタイムラインに衝撃を受けることはないだろう。そこで考えることは、スーパーヒーローの基盤となっている人間臭さが、どのように作り上げられて言ったのか、という部分だと思う。物語には、第三幕でチェーホフの銃ともなりえる、代表的なセリフを言う若いキャラクターが登場する(“3000回愛してる”)。ここであなたの閃きが正しいと証明しても、そんなに悪いことはないはずだ。これまで5、10、22とシリーズ作品を重ねてきたあなたは、無意識のうちにキャラクターや、それらを演じていた俳優陣に、親しみを覚えているだろう。Twitterでの推計にも関わらず、マーベル・シネマティック・ユニバースは、西洋文化のその向こう側に到達しているし、長年に渡って継続されていた“サガ”シリーズは抗えないほどに鮮烈だ。一つの完璧により近かった作品を除いて、すべての作品が完璧であるとは言えない。ただこのシリーズが重ねてきた功績と、人々の心に根付いたであろう作品の背景は、悲しくもハッピーな結末を生み出した。

それは私たちが自分自身を見出す瞬間でもあるし、『アベンジャーズ/エンドゲーム 』以後の世界が、どのようになって行くかを垣間見る瞬間でもある。マーベル全盛期の世の中は、コミック原作のストーリーを大ヒット作品に作り変える方法を確立したと言える。『ブラックパンサー』や 『LOGAN/ローガン』『ワンダーウーマン』などMCUの外に目を向けてみると、スーパーヒーローはますます複雑化している。誰がヒーローになるのか、誰がヒーローの物語を担うのか、あるいはヒロイズムはどのように浸透して行くのか、という部分まで、すべての要素における実験的な役割を果たしていると言える。神話におけるハンマー、星と縞柄の盾、そしてアイアンスーツなど、観客がすんなりと受け入れられるようなものであれば、逆に存在しないものであったのかもしれない。

現在では、25本の高額興行収入映画(インフレの調整はしていない)のうち、11本がスーパーヒーロー映画だ。特に、マーベルの映画が今後なくなることはまずないので、5年以内に確実に増加して行くことだろう— —23世紀まで、この高収入事業を手放すことはないと思われる。新しい『ブラックパンサー』と『スパイダーマン』、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の映画は期待通りの映画だ。おそらく、それらは他のサポートを必要とせず、橋渡しであったり、長編映画である必要もないだろう。そして他の競争相手もまた、王冠を狙ってやってくる。『ワンダーウーマン』の続編や、ホラー要素のある『ブライトバーン』など、第三世代の作品が次々に出てくるのだ。ホラー映画や、ウエスタン、SF映画のように、スーパーヒーロー映画業界はルールを無視しつつ、伝統的なやり方を保ちつつ、制作側を満足させ続けるであろう。

ただそうであろうと、なかろうと、スーパーヒーローの映画を見続けることになるだろう。『アベンジャーズ/エンドゲーム』において、マーベルは、一つの終わりと……何かの始まりを教えてくれた。それは、進化なのかもしれない。そしてそれは、非常にうまく継承されていっているのかもしれない。しかしゲームはいずれにせよ、今、変化を遂げていくのだ。

Translated by Leyna Shibuya

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