『ボーイズン・ザ・フッド』の故ジョン・シングルトン監督、本人や共演者の発言から見る人生の歩み方

デビュー作『ボーイズン・ザ・フッド』が大成功をおさめたシングルトン監督が1992年、史上最年少にしてアフリカ系アメリカ人初のアカデミー賞監督賞にノミネートされたのは有名な話(脚本賞にもノミネートされた)。この映画は当時としては珍しく、ハリウッド意外のロサンゼルスの地域にスポットライトを当て、アメリカの黒人一家をリアルに描いた。

「本当に悲しくて、胸が張り裂けそうだ」。この映画の出演者の一人、モリス・チェストナットもローリングストーン誌に語った。「俺が30年間役者をやってこられたのは、ジョンが子どもたちに夢をかなえるチャンスを与えてくれたから。彼は忘れられない印象を世界に残していった。みんなが彼を愛し、心から悲しんでいる」

同じく映画に出演していたアンジェラ・バセットもこう付け加えた。「私がジョンに会ったとき、彼は大学を出たばかりで、初めて脚本家兼監督としてデビューしようとしていたときでした。オーディションでの最初の出会いは、これからもずっと忘れることのないいい思い出です。あの日彼からは、さまざまなオーラがにじみ出ていました……聡明さ、寛大さ、そして何よりも熱意! 何年もずっと、彼はそれを失くさず、保ち続けていました。あの日から今日まで、彼が明確なビジョンを持っていて、それを周りに与えてくれたことに、頭が下がる思いです。彼は大勢の人々に耳を傾け、チャンスを与えてくれました。私も彼に救われた大勢の中の1人です」

『ボーイズン・ザ・フッド』は興行的に成功をおさめ、批評家からも高い評価を得たものの、「ギャング映画」とばっさり切り捨てられ、メディアの反応はほとんどが、公開直後に各地の映画館で起きた暴力沙汰に終始していた。中には、本編の銃撃シーンを盛り込んだ予告編が暴力騒動を引き起こしたとして、映画を非難するものもいた。だが1991年、ローリングストーン誌とのインタビューでシングルトン監督は、あのような予告編を作ったのは意図的だったと告白した。


1991年、『ボーイズン・ザ・フッド』左手前から順に:アイス・キューブ、ジョン・シングルトン監督、キューバ・グッディング・Jr(©Columbia Pictures/courtesy Everett Collection)

「おかげで劇場は満員御礼さ」と監督。「それにつきるよ。『ターミネーター2』の予告編で、ターミネーターが誰も殺さないと誓う場面を流していたら、誰も見に行こうとしないだろ……観客はさほど期待せずに映画を見に行った。きっといつものくだらない、ロサンゼルスのサウスセントラル地区の街角で起こるアクション・アドベンチャーだろうと思っていた。でも実際はそれ以上のものだとわかると、みんなくぎ付けになったのさ」

Translated by Akiko Kato

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