浅野忠信率いるSODA!を吉田豪が直撃「バンドの運気が上昇している」

一そうやってパンクをやり続け、絵もずっと描き続けているのはすごいと思いますよ。最近はTwitterも、ほぼ絵を発表する場になってますよね。最初の展覧会のときは、ここまでちゃんとしたものを描くようになるとは思ってなかったです。

浅野:懲りずにやってこれたなと。やっぱりバンドと一緒で、展覧会を何度かやって人に見られるうちに変わったんだと思います。

一ただ、とあるインタビューで、そういう活動全てに飽きたとか言ってましたよね?

浅野:言いましたね(笑)。ただ最近思うのが、飽きても意外と続けられるんだなって。何事も一辺倒じゃないですから。最初のころは引き出しが少なかったけど、続けるうちにジャンルがどんどん増えていったりとか。絵にしても、万年筆で描くのが飽きたから、絵の具に手を出してみたんですよ。難しいから上手く描けないけど、それはそれで面白くて。だから今は、水彩画にめちゃくちゃハマってますね。飽きたら飽きたで、その次が待ってるというのを体感しています。

一「バンドも飽きた」と言ってましたけど。

浅野:いや〜(苦笑)。本当に飽きたり、何も浮かばないな~って思うこともありますし。それでも何かは出てくるんですよね。それこそ、この前にROCKIN’ON JAPANのインタビューを受けてて、いろんな若いバンドの音源を聴かせてもらったんですよ。なんだっけ……有名なバンド、フィッシュマンズじゃなくて……。

村山:あ、サカナクション?

一フィッシュ違い!

浅野:魚で覚えてた(笑)。サカナクションとか聴かせてもらったらかっこいいし。そうすると飽きてたはずが、まだ面白いことあるな~って。

一刺激を受けると。

浅野:受けますね。で、自分も真似したくなってくるから、実際に真似するうちに自分のできることをまた見つけたりして。

一俳優業よりこっちが楽しくなってる部分とかもあるんですか?

浅野:やっぱり自分でコントロールできるというか。曲作りやライブにしても、自分で脚本を書いたり監督したりするようなものじゃないですか。誰かに指示されるわけでもなく、自分の好きなように動ける。俳優はもう、台本があって監督やプロデューサーがいて。撮影においても、舞台ではないですから。カットかけられてダメ出しされて、監督の求めるものを表現するときもあるわけで。そりゃ、やっぱり疲れるときもありますね。で、こっちがコミュニケーションしようとしても、その言語が通じない場合があったりすると、相手に合わせていくしかないんですよ。それって結構な労力がいるんですよ。もちろん、そこから得るものも大きいですけどね。

一10代のときバンドで生きようとしていた浅野さんが俳優業を選んだのは絶対に正解だったと思うんですけど、やりながらも迷いとかはあるわけですか?

浅野:うーん……ずっと迷ってたと思いますね。これはどこまで話していいのかわからないけど、父親が捕まったじゃないですか。僕はずっと、父親がいなくなったら自分は俳優を続けるんだろうかって思ってたんですよ。そしたら捕まっていなくなったので、続ける必要もなくなった。

一え!

浅野:で、そのあと僕の彼女が占いの先生と会って、僕の写真を見せたら「この人は(今年の)9月から楽になる、人のために生きなくて良くなる」って言われたらしくて(笑)。

一うわー! 

浅野:意外といいな、それって(笑)。ということはもう、僕は誰かのために俳優をやる必要はなくなるわけですよ。さらに、その先生は「この人は音楽やっていますか?」と聞いてきたそうで、やってますと彼女が答えたら、「11月から音楽で成功します」と言われて。じゃあそっちじゃん!って(笑)。

一バンドの運気がどんどん上昇してきている(笑)。

浅野:そうそう。僕は自分で自分をプロデュースできるタイプじゃないから、流れに任せるしかないんですけど、いい流れが来るかもしれないと思っていて。

一浅野さん、意外と占いは好きなんですよね。

浅野:怖いんですけど、意外と嫌いじゃなくて。実はその日、「一緒に行く?」って僕も誘われてたんですよ。でも、男はやっぱり、ハマっちゃうとそれ無しで生きられなくなるから。いやいや自分は行かない、危ないって。

一危ない(笑)。

浅野:で、その占い師さんが言うには、僕の前世は薬剤師らしいんですよ。「25年間、この人はずっと人のために生きてきた。前世で助けを求めてきた人たち全員を助けきれなかった、それを今世で助けないといけない」と。で、まさに僕は父親と25年間会社をやってきたんですよ。やっと終わる!と思って。

一ダハハハハ! 終わらせたかったんですか?

浅野:違和感がどこかに凄くあったんですよね。去年はもう、ずっと自問自答ですよ。はたして父親がいなかったら俳優をやるんだろうか、まさにこのことを(占い師は)言ってるんじゃないかと。だから、もし続けるとしても、それは自分のためだなと思ったんですよ。そしたら、もっと潔くできる気がするんですよね。背負うものがないんで。

一しいたけ占いも好きなんですよね?

浅野:好きですねえ……(しみじみ)。

松丸:俺めっちゃ見てるよ(笑)。

村山:この人(浅野)、送ってくるんだよ!

浅野:彼女は占いの本もよく買ってくるんですけど、それも見まくって。いいところだけ携帯に全部メモして、落ち込むとそれを見るんですよ(笑)。「2月はいける!」とか。

一でも、最近はきっと大変なんだろうなと思ってましたよ。

浅野:いろんなことがボコボコ起こりましたからね。さっきの先生が「この人は3週間、“俺はもう充分、人のために生きた!”と心の中で思い続けなさい」と言ってたらしいんで、最近は事あるごとにそう唱えてるんです。「俺はもう充分、人のために生きた!」って(笑)。

村山:もうハマってるよね。先生と会わずにこれだから、会ったらもうズッポリじゃない?

浅野:いやそれが、車でドライブしてたら、「ここが先生の東京でのアジトで〜」とか彼女が言い出して。言わないでくれよ、なんかあったら行っちゃうじゃん!って(笑)。

松丸:でも、占いは怖いよ。19歳くらいの頃に、中華街に先輩がやってたアクセサリー屋があって、店員が可愛かったからよく遊びに行ってたんですよ。その店の横に、手相占いのおばちゃんがいつもいて。「アンタちょっと来なさい、ヒマだからタダで見てあげるわ」とか言ってくるんですよ。それで手相を見せたら、「う〜ん、アンタの人生は40代、50代からだわ。それまで何も無いから好きにやればいい」って。

村山:ハハハハハ!

松丸:野心に満ち溢れた19才に向かって、20年何も無いとか言いやがって。「このババア~、当たるかよ!」と思ったけど、実際その歳になってみると、バンドの調子よくなってきちゃって(笑)。最近、あの日のことをすっげえ思い出すんだよね。

浅野:そのおばちゃんに感謝しないとだね(笑)。

松丸:今年の頭に、神戸までライブに行って。そのとき、30年くらいのバンド人生で初めてローディが付いたんですよ。10代の頃は、バンドといえばローディくらいに思っていて。雑誌とか読んでも、悪いバンドマンの人たちが荷物を運ばせる話が載ってるわけですよ。そんなのまったく縁がないバンド生活が続いていたのに、ここにきてローディが俺たちの機材を運んでくれるんですよ。なんかこう……メッチャいい感じです(笑)。

村山:慣れてないから、まだ不安感があるけどね。「荷物を置いとくだけで持って帰ってくれんの?」って。そんなん任せたことないから(笑)。

一浅野さんが元気そうでよかったです。SODA!の昔の曲で、ドラッグなんていらないみたいな曲があったんで、お父さんが捕まったときはドキドキしてましたよ。

浅野:まあ、僕自身はなんもやらないんで。ジョン・レノンも「現実ってのは、ドラッグとうまくやっていけない人のためにあるんだ」と言ってましたけど、僕はシラフでも楽しいし、クラブで踊るときもそのままでハイになれるので。

一お酒もいらない?

浅野:いらないです。もともと呑めないし、何かの力を借りなくても充分ハイになれますから。

一じゃあ完全に、バンド向いてるんじゃないですか。占いが当たる可能性も……。

浅野:そう、大いにありますよ!


編集協力:小鉄 昇一郎(STUDIO MAV)




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