クイーンとして生き抜いた、フレディ・マーキュリーという悲劇的なラプソディ

(フレディ・)バルサラと同様、クイーンの初期メンバーの2人ブライアン・メイとロジャー・テイラーは1960年代後期にロンドンの大学に通っていた。メイは背が高く、痩せていて、穏やかな話し方で、博学であり、ビジョンを持ったギタリストになる発展途上にあった。彼の感受性が最も影響を受けたのは1950年代から聞いていた、バディ・ホリー・アンド・ザ・クリケッツの多重ボーカルやイタリアの人気コンサートマスター、マントヴァーニのストリングス、そして1960年代のザ・ビートルズの革新的な方法など、ハーモニー重視の音楽だったと彼は後に語っている。1963年の終わりにメイは父と共に暖炉から取ったマホガニー材でエレキ・ギターを作った(レッド・スペシャルとして知られ、メイが今でも使用しているギターである)。メイと友人のベーシスト、ティム・スタッフェルはお互い60年代半ばに大学に通い始めた頃に1984というカバー・バンドを組んでいた。メイはインペリアル・カレッジで数学と物理と天文学を学んでおり、1968年には彼とスタッフェルは激しい即興的なノリを持ったスマイルという新しいバンドを始め、クリームのようなバンドたちが作ったブリティッシュ・ロック界隈で受け入れられていった。インペリアル・カレッジの掲示板に、ジンジャー・ベイカーやミッチ・ミッチェルのようなプレイができるドラマーを募集する張り紙したところ、歯科医を目指していたが勉強に嫌気が指していたテイラーがその広告に応えた。テイラーは可愛らしい顔をしていて、喧嘩っ早く、どちらかというとザ・フーのキース・ムーンのような壮大なプレイスタイルであったがスマイルが求めるものをプレイすることができ、また、ムーンのようにサウンドに対する本能的なセンスも持ち合わせていた。「ロジャーがインペリアル・カレッジでセットを組んだ時、仰天したのを覚えているよ。彼がチューニングしたドラムのサウンドはとにかくそれまでに俺が聞いたことのある誰よりも良かったんだ」と1999年にメイはモジョ誌に語っている。そうしてスマイルのトリオは結成された。

スタッフェルは、それまでに同じイーリング・アートカレッジに通い始めていたフレディ・バルサラとも音楽的趣味を共有していた。その頃までにバルサラの内気さは改善されていた。彼はロングヘアーにエキゾチックな整った顔立ちで、危なげなルックスでもあり、しなやかな身のこなし方も身につけていた。1969年初め、スタッフェルはバルサラをテイラーとメイに紹介するために連れて行った。爪を黒く塗っていたバルサラは女っぽく、2人は彼に対して少し変であるという印象も持ったが、彼には人を引きつけるものがあった。また彼には上から物を言うようなところもあった。「その時の彼は単にまっすぐだっただけなんだ。『これはすばらしいよ。雰囲気を盛り上げることやそれを落とすことを意識しているのはすばらしいことだ。でも服装がちゃんとしていなければオーディエンスを正しく扱っているとは言えない。いつだって(オーディエンスと)繋がるチャンスはあるんだ』と彼は言っていた」とメイは言う。

バルサラはこの頃、いくつかのバンドに入ったり辞めたりを繰り返しており、彼は毎回バンドのすべてを作り変える傾向にあった。彼はブルースを歌うことが好きで、ほとんどのバンドがそれを求めていたが彼が影響を受けたものは、イギリス人の作曲家でシンガーのノエル・カワードの楽曲、ショパンやモーツアルトの楽器のボイシング、ディック・パウエルやルビー・キーラー、ロバート・プラント、アレサ・フランクリンの歌唱法、彼が愛してやまない2人のスター、ジミ・ヘンドリックスとライザ・ミネリの表現法など、それよりも遥かに幅の広いものであった。しかし、スマイルを見てから彼はこのバンドのリード・シンガーになりたいと強く願うようになった。彼はスマイルのライブで時々「俺が君たちのバンドのボーカルだったらどうなるかを見せてみせるよ」と叫んでいた。何度もぬか喜びをさせられた後、1970年初めにスタッフェルがスマイルを抜けることが発表された。この頃までにメイとテイラーとバルサラはアパートで共同生活をしており、2人はバルサラが器用でしっかりと教育を受けたピアニストであり非凡なシンガーへと成長しつつあることに気づいていた。そうして1970年4月、3人は新しいバンドを結成した。彼らは1971年にジョン・ディーコンに出会うまでに数人のベーシストを試した(少なくともそのうちの1人はバルサラの突飛なスタイルに抵抗があった)。ディーコンもまた模範的な学生(彼は音響振動工学の修士号を持っていた)で、みんなに極端に内気な印象を与えた(「彼は俺たちとほとんど話すことが出来なかった」とメイは初めて会ったときのことを回想した)。しかし、彼はすぐに曲を覚えオーディションで、その日その場にいたメンバーの言葉で言うと「欠けていたものを補ってくれて1音もミスしなかった」とのことだ。そうしてディーコンはそのポジションを得ることとなった。

Translated by Takayuki Matsumoto

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