クイーンとして生き抜いた、フレディ・マーキュリーという悲劇的なラプソディ

「彼の死は乗り越えられていない。メンバーの誰もね。みんなすぐに受け入れられると思っていたと思うけど、彼の死が俺たちの人生に与えた衝撃の大きさを俺たちはわかっている。今でも俺はそのことについて話すのは楽なことではないと感じている。残されたメンバーにとってはクイーンはまるで完全に別の人生だったかのように感じるものだったんだ」とテイラーは後に語っている。

人々はマーキュリーの生き方にも死に方にも悩まされた。彼が病に倒れたのを、彼の性的指向と不特定多数の相手と性的関係を持ち続けたことに対する罰だと見る同性愛反対派もいた。また、エイズ撲滅のために戦っていた人たちは彼が最後まで自身の病を認めなかったことを非難した。こういった批判は常にマーキュリーについて回ったが、もし彼の音楽が意味のあるものであるとしたら彼が犯した失敗にも価値があったと言えるだろう。様々な曲で死の必然性や孤独の寂しさ、希望について歌っているが、『ザ・ゲーム』の「セイヴ・ミー」に「I have no heart, I’m cold inside(俺には心がない、内側が寒い)/I have no real intent.( 俺には本当の意図なんてないんだ)/Save me(助けてくれ)/I can’t face this life alone(1人じゃこの人生に向き合うことが出来ないんだ)」とあるように、得ることの出来ない救いも彼は求めていた。しかし、マーキュリーは子供の頃そうだったように、孤独でいなければならないとも感じていた。「すごく孤独な人生かもしれない。でも、俺はそれを選んだんだ」と彼は語った(1970年代初め頃、オースティンが子どもを作ろうと提案するとマーキュリーは「それならネコを飼うほうがいい」と答えたと言われている)。家庭的な安住の代わりに彼は人生の大半で快楽を求め、そして、言うまでもなくその選択は大きな代償を招いた。彼の最高の曲の1つ「ドント・ストップ・ミー・ナウ」では至福の気持ちを「I’m a rocket ship on my way to Mars(俺は火星に向かうロケット)/On a collision course(衝突する軌道に乗って)/I’m a satellite out of control(俺は操作不能の人工衛星)/I’m a sex machine ready to reload(俺は再装填の準備が出来たセックス・マシーンなんだ)」と、ありのままに歌っている。

よく知られているが『天国と地獄の結婚』で詩人ウィリアム・ブレイクは「過剰の道が知恵の宮殿に通ずる」と言った。自己抑制することなく欲望を追求する過剰な人生を送るとやがてそういった快楽に意味がないことに気づき、もっと意味のある目的を見つけるようになる、という意味の格言である。しかし、リスクを冒さなければ可能性や自分をもっとも輝かせてくれることを見つけることはできない、という意味ととることもできる。『ザ・ミラクル』で彼は労を惜しまず自身の過剰さに向き合い、答えを見つけた。「Was it all worth it all these years?(この年月に価値はあったのか?)/It didn’t matter if we won – if we lost.(勝ったか負けたかなんてどうだっていい)/Living, breathing rock & roll(生きて呼吸するロックンロール)/Was it all worth it?(全部価値があったのか?)/Yes, it was a worthwhile experience(そうだ、価値のある経験だった)/It was worth it.(価値があったんだ)」と。この歌詞を歌った時、彼は自分にほとんど時間が残されていないことを知っていた。偽った気持ちを表現する時間などなかった。「俺の失敗は俺の責任だ」と彼は語っていた。

マーキュリーが晩年に歌った最高の曲「輝ける日々」は彼のためにテイラーが書いた。人生でやってきたことのすべてを受け入れ、毅然とした態度で自らの旅立ちに備えるという曲である。この曲のビデオにはカメラに映る最後のマーキュリーの姿が収められている。彼は痛々しいほどにやつれ、死が目前に迫っているのは明らかで、撮影の現場にいた人は服が皮膚に触れるだけでもひどい痛みを感じていたと語っている。しかし、撮影の瞬間は完全に彼が“戻ってきて”、輝いてすらいた。彼は空を仰ぎ両腕を広げ、そして、カメラを見て言い残したことのすべてを歌う。「Those were the days of our lives – yeah(それが俺たちの輝ける日々だったんだ、そう)/The bad things in life were so few(人生で悪いことなんてほとんどなかった)/Those days are all gone now, but one thing’s still true(そんな日々は過ぎ去ったけど1つ確かなことがある)/When I look and I find(よく見たら気づいたんだ)/I still love you. . . . I still love you.(今でも君を愛している、今でも君を愛していると)」

この瞬間に彼のすべてが許された。彼は苦しんでその“知恵”を身に着けた。おそらくそれ以外の方法はなかったのだろう。
フレディ・マーキュリーは死によって救われたのだ。

ローリングストーン誌2014年7月3-14日号からの転載

Translated by Takayuki Matsumoto

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