絶滅寸前の危機、ギターソロはもはや過去の遺物なのか?

メインストリームのロックおよびポップの分野において、ギターがいつ頃から衰退し始めたのかは定かではない(今なおギターソロが重宝されているメタル、またテクニックの誇示がしばしば歓迎されるカントリーは例外)。一時はポップのあらゆるヒット曲(最大の例は「今夜はビート・イット」)で耳にしたギターソロは、曲の人気の一要因となっていた。その衰退の兆候が初めて見られたのは、間違いなく90年代のオルタナ・ロックのシーンだろう。カート・コバーンは「カム・アズ・ユー・アー」でソロを弾いているし、ビリー・コーガンは「ソロを剥ぎ取る」というフレーズを評論家たちの間で流行させた。しかし、けばけばしいヘアーメタルに取って代わったグランジやオルタナロックの界隈においては、テクスチャーや気だるさ、地味なボディアクションなどが注目されがちであり、それはコバーンやコーガンによる混乱に満ちた感情を描いた歌詞ともリンクしていた(筆者は何度かニルヴァーナのライヴを観たが、カートは自身の見せ場においてもステージ前方に出てきたことは一度もなかったと記憶している)。ペイヴメント等はレコードにおいてギターソロを皮肉めいたものとして活用し、2000年代前半にハードロックがニューメタルという形で復活を果たした時には、コーンやデフトーンズといったバンドがコバーン以上にやさぐれたプレイスタイルを打ち出した。

ギターソロが見向きもされなくなることは、おそらく避けられない運命だったのだろう。長い年月と数々のイノベーションを経た現在、ギターソロに一体何が求められるだろう? ヘンドリックスやスティヴィー・レイ・ヴォーン以降、その領域は進化してきただろうか? ヒップホップやダンスミュージック、そしてコンテンポラリーなポップの隆盛は、ギターソロの時代遅れ感を浮き彫りにした。これらのジャンルにおいては、ギターはサンプルやリズムパートの一部として用いられるケースこそあれど、ソロを耳にする機会はほぼ皆無と言っていい。ビヨンセの2016年作『レモネード』に収録されたジャック・ホワイトとのコラボレーション曲、「ドント・ハート・ユアセルフ」はレッド・ツェッペリンを思わせるが、ギターの存在感は決して強くない。

もうひとつ特筆すべきことは、過去10〜20年間に登場したジミやスティーヴィーを思わせるギタリストたちが、確信犯的にノスタルジーを追求しているという点だ。今世紀の最初の10年間、ジャック・ホワイトやブラック・キーズのダン・オーバックは、瀕死状態だったギターソロを救い続けてきた。ホワイトが性急で鋭く尖ったソロを得意とするのに対し、ブラック・キーズのニューシングル「ロー / ハイ」で、オーバックは力強くきびきびとしたソロを弾いている。テキサスのブルースロッカー、ゲイリー・クラーク・ジュニアは新作『ディス・ランド』でギターヒーローというイメージを拒絶しつつも、「ロウ・ダウン・ローリング・ストーン」等、随所でうねるようなギタープレイを披露している。しかしこういったレトロ調のロックにおいてさえ、ギターが脇役となってしまっている感は否めない。ケイジ・ザ・エレファントの「レディ・トゥ・レット・ゴー」では、極めて簡潔でギターらしからぬソロを耳にすることができる。スライドギターに口笛を吹かせようとするかのようなそのソロは、始まったと思った次の瞬間には終わっている。彼らのニューシングル「グッドバイ」はピアノがリードするバラードであり、ソロはお呼びでない。

Translated by Masaaki Yoshida

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