ボブ・ディラン『ナッシュヴィル・スカイライン』知られざる10の事実

Ryman Auditoriumで行われた『The Johnny Cash Show』(ABC/TV)収録時のボブ・ディラン、1969年6月7日 テネシー州ナッシュヴィルにて(Michael Ochs Archives/Getty Images)

「レイ・レディ・レイ」における意外なゲストまで、今年で発売から50周年を迎えるカントリーに急接近したマスターピースをめぐる知られざる10のエピソードを紹介する。

1969年4月、ボブ・ディランは9枚目のスタジオアルバムを作るべくナッシュヴィルに向かった。地元の腕利きセッションミュージシャン兼プロデューサー、ボブ・ジョンストンとタッグを組むのはそれが3度目だったが、そのセッションは以前とは大きく異なるものになる。彼がそこで生み出したのは、1966年作『ブロンド・オン・ブロンド』の「か細く、ワイルドなマーキュリーサウンド」や、1967年作『ジョン・ウェズリー・ハーディング』における不吉なアコースティックフォークとは似ても似つかない、伝統的なカントリーのアルバムだった。そのアルバムを彼は『ナッシュヴィル・スカイライン』と名付けた。

ニューヨークのヴェルヴェット・アンダーグラウンドや、サンフランシスコのグレイトフル・デッドといった実験的なバンドが音楽の可能性を押し広げようとしていた当時、ニューヨーク州のウッドストックでひっそりと暮らしながら、家族との時間を大切にしていたディランは、シーンのトレンドにほとんど関心を持っていなかった。彼は再びオーディエンスの期待を裏切り、誰も予想だにしなかったアルバムを発表した。「一人きりでいる時はいつも、こういう曲を書きたくなるんだよ」彼はニューズウィークにそう語っている。「このアルバムには俺のパーソナルな部分がはっきりと表れてる。過去のどの作品よりもね」

『ナッシュヴィル・スカイライン』において、ディランのヴォーカルは劇的に変化した。カントリーらしいバリトンのクルーナーボイスは、タバコをやめたことで自然に身についたという。「タバコをやめた途端、声が様変わりしたんだ。自分でも信じられないくらいにね」彼はローリングストーン誌での初インタビューにおいて、創設者のヤン・S・ウェナーにそう語っている。「俺が保証するよ。タバコをやめればあんただってカルーソーみたく歌えるようになる」実際には、彼はヴォーカリストとして新たな自分を確立しようとしていたのだった。

『ナッシュヴィル・スカイライン』の発売50周年を記念し、同作にまつわる10の秘話を以下で紹介する。

1. アルバムの仮タイトルは『ジョン・ウェズリー・ハーディング Vol. 2』だった

同作のタイトルは『ジョン・ウェズリー・ハーディング Vol.2』となるはずだったが、コロムビアは『Love Is All There Is』という題名を提案したとディランは語っている。「俺としては特に異論はなかった」彼はローリングストーン誌にそう語っている。「でもちょっと不気味に思えたんだよな」

他の案としては『レイ・レディ・レイ』や『北国の少女』などが挙がっていたが、最終的には『ナッシュヴィル・スカイライン』で落ち着いた。「まるでフィットしない案もあったよ」ディランは笑ってそう語ったという。「ギターを抱えた俺の写真の上に『北国の少女』なんて書いてあったらおかしいだろ?」

Translated by Masaaki Yoshida

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