マイク・Dとアドロックが語る、ビースティー・ボーイズの歴史「俺たちはカテゴライズ不可能な存在だった」

ビースティーボイズのアダム・ホロヴィッツ(右)とマイケル・ダイアモンド(Jack Plunkett/Invision/AP/REX/Shutterstock)


かつて騒々しいパーティーラップのグループだったビースティ・ボーイズが、シーンの立役者としての地位を確立するまでになったのは、常に自らを客観的に見つめることで、彼らが絶えず成長を遂げてきたからに他ならない。ホロヴィッツとダイアモンドはイベントのムードに陰りが生じることを厭わず、過去に犯した過ちについても言及していた。彼らは初期の楽曲の歌詞が女性蔑視的であることを認め、「アグレッシブなラップグループのイメージにフィットしない」という理由で、結成メンバーの1人であるケイト・シェレンバックを強制的に脱退させたことを後悔していると語った。2009年に行われたヤウクとの最後のライブについて語る時、ホロヴィッツは目に涙を浮かべていた。

姿こそなくとも、会場には始終ヤウクの存在感が漂っていた。『ポールズ・ブティック』のカバー写真から「サボタージュ」のベースライン、テープデッキと椅子2脚を使ったDIYループマシンの考案まで、2人はバンドにおけるヤウクの功績の数々について繰り返し強調していた。

身内ノリを少しも出すことなく、バンドの物語を優しく語ってみせた当日のホロヴィッツとダイアモンドは、バンドの繊細なニュアンスをオーディエンスに伝えることにほぼ成功したと言っていいだろう。ニューヨーク出身の白人のパンク好き少年3人は、固い絆を讃えるアンセムを手に世界中を巡り、サンプラーととめどない音楽的好奇心を武器に、ヒップホップの枠を越えた野心作をメジャーレーベルから発表し続けた。

「俺たちはカテゴライズ不可能な存在だった」ダイアモンドはそう語った。「そういう表現が物足りなく感じるほどにね」

Translated by Masaaki Yoshida

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