『ゲット・アウト』の監督が教える「悪夢」のつくりかた

ローリングストーンUS版1324号で表紙を飾ったジョーダン・ピール。(Photo by Frank Ockenfels 3 for Rolling Stone )



「痛みは胸の奥にしまいこんでいる」

彼の新作、『Us』がそういった作品であることは疑いない。『ゲット・アウト』と比較すれば、『Us』で描かれる恐怖はより具体的だ。ある家族がそれぞれのドッペルゲンガー(ピールはTetheredと表現している)と対面する本作を、彼はユニバーサルが生み出してきた『フランケンシュタイン』『ドラキュラ』『狼男』といった映画の系譜に連なる「モンスターもの」として捉えているという。そこには『ゲット・アウト』を楽しんだ上品なオーディエンスを震え上がらせてやりたいという、ピールの悪戯心がはっきりと見て取れる。



ピール自身もまた、父親との別離を経験している。「僕は映画を撮ることで、自分が恐れるものと正面から向き合おうとしているんだ」。彼はそう話す。シングルマザーである母親が仕事から帰ってこず、自宅で恐怖におののく息子というシナリオには、彼自身の恐怖心が現れている。ピールが17歳の誕生日を迎えたばかりの頃に、彼の父親は姿を消した。完全に音信不通であったため、1999年に父親が亡くなったことをその数年後に知ったときも、最初はその事実をうまく受け止められなかったという。「そのことで涙を流したのは、それから何年も後のことだった」。彼はそう話す。

我々が今いるピールのオフィスは、より大きなスペースに拠点を移したMonkeypawがかつて借りていたハリウッドヒルズの一軒家の中にあり、室内は思い出深い品々で溢れている。我々のすぐ隣には、『ゲット・アウト』でキャサリン・キーナーが演じたキャラクターの部屋に置いてあったレザーのアームチェアがある。凍りついたまま涙を流し、精神のくぼみへと落ちていったクリスが座っていたあの椅子と同じものだ。パーソナルな質問を投げかけた筆者は、無意識のうちにそのアームチェアの影響を受けていたのかもしれない。


 『ゲット・アウト』の撮影現場で、ダニエル・カルーヤに指示を出すピール。本作における父親の不在という暗黙のテーマは、彼自身の幼少期の経験に基づいている。(Photo by Justin Lubin/Universal Pictures)

我々を見下ろしているオスカー像が収められたガラス製キャビネットの中には、あの花柄のティーカップ、そしてアリソン・ウィリアムズが「鍵は渡せないの」と口にするシーンで中身を探るふりをしたポーチもある。本棚には無数の脚本執筆の教習本のほか、スティーヴン・キングやニール・ゲイマンの小説なども見られる。壁に貼られた『ローズマリーの赤ちゃん』でのナイフを握ったミア・ファローの白黒写真、そして机のそばにある額縁に入れられた『サイコ』に登場する屋敷の間取り図は、どちらもユニバーサルから贈られたものだという。

彼は自身のアイデンティティについて悩んでいたことを認めている。父親は黒人だったが、彼は白人の母親の手で育てられた。幼少期に父親が不在だったことによる影響については、自分でも把握しきれていないという。「痛みは胸の奥にしまいこんでいるんだ」。彼はそう話す。「でも映画で父親と息子の交流シーンなんかを目にしたときに、ふと涙ぐんだりするんだよ。もし自分がそばにいなかったら息子はどう感じるんだろうって考えるたびに、自分が心に傷を負っていることを自覚するんだ。僕は実際にそういう環境で育ったけど、そのことを意識しすぎないよう努めてきたから、ネガティヴな感情を抱えこまずにやってこれたと思う。自分の作品の多くにそういうテーマが見られるのは、僕が心に負った傷と向き合おうとしているからなんだ」

夜になると恐怖心が煽られたという幼少期の傾向は、そういった背景と無関係ではないのかもしれない。「クローゼットの中に潜んでいるお化けなんかを想像してしまうんだよ」。ピールはそう話す。「精神的に病んでたんだろうね」。しかし学校の遠足でキャンプファイアを囲みながら自作の怪談(停車している不審な車、生首、不気味なチャント等が登場する)を披露したとき、彼は自らの恐怖心という呪縛から解き放たれた。「みんなすごく怖がってたよ。そのとき以来、僕は何も恐れなくなったんだ」。ピールはそう続ける。「心に抱えていた痛みや傷、そして恐怖心と折り合いをつけられるようになった。森の中から突如ジェイソンか何かが現れて切りつけられたとしても、少なくとも僕は怖がったりしない。キャンプファイアで自分の空想について語ったあのとき、僕は自分の中の恐怖心を克服したんだ。あの瞬間に感じた圧倒的なカタルシスによって、僕は子どもから大人へと脱皮したんだ。僕は長くコメディの世界にいたけど、あのときに話した怪談は今でも自分の最高傑作だと信じてる」

 自分の将来について、ピールは極めて自由に選択することができたという。「父親がそばにいないことの利点のひとつは、時間と労力を何に費やすべきかなんて熱っぽく語るやつと関わらなくてすむことさ」。そう話す彼がアーティスト気質の人間であることは、かなり早い段階から明らかだった。絵が得意だった彼は写生の授業を選択し、子役としてアマチュアの舞台に出演するなど、幼い頃から演技の才能も発揮していた。「12歳の頃には既にマネージャーかエージェントがついてたと思う」。彼はそう振り返る。「オーディションにことごとく落ちて、思い悩んだ時期もあったけどね。挫折した子役スターってやつだよ。典型的なね」

中学3年の頃、彼は奨学金を受けて私立学校のCalhoun Schoolに入学し、アートに関心のある友人たちとサークルを立ち上げた。ゴスに夢中だった彼はトゥールやナイン・インチ・ネイルズを愛聴し、常に全身黒ずくめだったという。子どもの頃に愛用したおもちゃをキャストとした一連のカムコーダームービー『Planet of the Beasts』について、ピールの高校時代からの友人であり、現在はMonkeypawの社長を務めるWin Rosenfeldはこう語る。「『ジュラシック・パーク』もどきのふざけた作品さ。ティラノサウルスとルーク・スカイウォーカーがガチンコバトルを繰り広げるようなね。ジョーダンらしいユーモアとホラーと馬鹿馬鹿しさのおかげで、かなりオリジナルな内容ではあったけどね」

ピールはニューヨーク大学のフィルムスクールで学び、映画監督になることを切望していた。「必要な教育を受けることさえできれば、その夢を叶えられるって確信してた」。彼はそう話す。「自分には才能があるって分かってたんだ」。しかし、その情熱が強すぎるがゆえに半ばパニックに陥った彼は、おそらく人生で初めて自分を見失い、その道に進むための努力さえしなかった。彼は奨学金をもらってサラ・ローレンス大学に進み、需要の高い人形劇の分野で自ら専攻科目を立ち上げた。ピールは当時についてこう話す。「将来はロアーマンハッタンのどこかで、アヴァンギャルド寄りのホラー・コメディみたいな人形劇をやるつもりだった」。しかし学内で行われていた即興コメディにのめり込むようになった彼は、3年に上がる前に同大学を中退し、セカンド・シティのコメディシーンに憧れてシカゴへと移り住んだ。ほどなくして彼は、アムステルダムに拠点を置くコメディ集団Boom Chicagoの一員となる。オランダ人女性との接し方を悟るまでには少し時間がかかったが、彼はそこで素晴らしく充実した(マリファナ漬けの)3年間を過ごした。そして2003年、シカゴでの一時滞在中にキーガン=マイケル・キーと出会ったことで、彼の人生は大きく旋回していく。


コメディ番組『Key and Peele』でピールが演じるバラク・オバマと「怒りの通訳者」のやりとりは、大統領本人のお墨付きを得た。(Phohto by Ian White/Comedy Central)

Translated by Masaaki Yoshida

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