元マネージャーが語る、ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』が世界を変えた瞬間

パリのLe Zenithでのカート・コバーン 1992年6月24日(Photo by Gie Knaeps/Getty Images)


ラジオとMTVで大衆に働きかける一方で、熱心なリスナーはレコードを買った。『ネヴァーマインド』の発売直前にバンドがニューヨークを訪れた際に、Janet Billigはメタリカが新作のリスニングパーティーを開催するマディソン・スクエア・ガーデンにカートを連れていった。メタリカが好きな彼は機嫌を良くしながらも、『ネヴァーマインド』にメディアが否定的な態度を示した場合への対処について考え込む様子を見せたという。かつてMontgomeryとサーストンの前で語ったように、カートは「アバウト・ア・ガール」に触れつつ、自分がずっとメロディックな曲を書いてきたことをBilligの前で強調した。彼が言わんとしたのは、メジャーレーベルと契約したからといって、自分がスタンスを変えたわけではないということだった。彼はパブリシストのジャネットを通じて、インディーやサブカルチャー系のジャーナリストたちに自身の考えを伝えたかったのだろう。彼女はこう振り返る。「あらゆるメディアに目を通してたカートは、ロックにおけるインディーとメジャーの間で常に揺れ動いてた。そして彼は、その両方を振り向かせてみせた」

カートの憂慮は現実にはならなかった。パンクのジャーナリストたちは、バンドのスピリットを維持したままヴィジョンを押し広げた『ネヴァーマインド』で、彼らが一貫して追求してきた80年代のパンクカルチャーを開花させてみせたと評した。また同作は、シアトルのロックのコミュニティにおいても広く愛された。Boddyはこう振り返る。「アルバムはあらゆるメディアから高く評価された。Maximum RocknrollやFlipsideさえも好意的で、バンドがセルアウトしたっていう見方は皆無だった。サブ・ポップのプレス担当だった僕が言うんだから間違いないよ」

一方、メインストリームにより深く食い込もうと奔走していた私は、1985年にSpin誌を創刊した友人のBob Guccione Jr.と連絡を取った。パンクカルチャーを同誌のターゲット外と割り切っていた彼は、私と同じくビジネスマンだった。夏の終わりにランチを共にした時、彼は同年12月号でサウンドガーデンを表紙にするつもりだと語っていた(その時点では、サウンドガーデンはシアトルで最も人気のある若手バンドとされていた)。私は彼の前で、年が暮れる頃にはシアトルで一番のバンドはサウンドガーデンではなくニルヴァーナになっていると断言してみせた。Guccioneの若い部下の中には、私の意見に同調する人間がいたに違いない。その証拠に彼は、メジャー雑誌では初となるバンドの巻頭特集を、Lauren Spencerに執筆させている。

9月が終わりを迎える頃、状況が一変しつつあることを自覚していたカートは、Spinの巻頭特集では数週間前にレーベルが用意したアーティスト写真とは別のものを使うと主張した。写真撮影の前日、バンドはノーサンプトンにあったWOZQを訪れ、カートはスタッフの若い女性に髪を青に染めて欲しいと依頼した。初めて全米規模の媒体の表紙を飾ったバンドのあの写真は、そのフォトセッションで撮影されたものだ。

古参の批評家たちが『ネヴァーマインド』をアメリカン・ロックンロールの復権とみなしたことは、特筆に値することだった。深いテーマを扱うR.E.Mが大衆の支持を獲得したのは10年近く前のことであり、リスナーの大半は大学生かそれ以上になっているはずだった。ガンズ・アンド・ローゼズは10代のキッズを中心とするロックのシーンにアドレナリンを注入したが、彼らの音楽には文化としての深みが欠落していた。ロックが安っぽいポップスをラウドにしただけのものに成り下がったと嘆いていた中年の音楽評論家たちは、1991年後半にリリースされた『ネヴァーマインド』が、もはや完全に失われたと思われていた文化としてのロックを復活させたと評した。批評家たちはビッグなアーティストの作品を軽視する傾向があり、レビュー記事に目を通すオーディエンスはごく一握りだとされているが、『ネヴァーマインド』は圧倒的なチャートアクションを誇っただけでなく、何百人ものロック評論家の年間ランキングをもとに決定されるVillage Voice紙の名物企画、Pazz & Jop Pollにおいても堂々の1位を獲得した。

カートは至る所で、ニルヴァーナはピクシーズよりもビッグになるはずではなかったと発言している。それが本心ではなく、彼がリハーサルに臨む時のような覚悟を持って成功に対処しようとしていたことを、私はほぼ確信している。彼は内なる悪魔と格闘し続け、時には思いがけず手にした余りある名声を拒むそぶりを見せたが、アーティストとしてのカートは無意識のレベルでその才能を自覚しており、常に数ステップ先を見据えていた。

ラジオにおけるフォーマットの壁をまたいでみせたように、カートはロックジャーナリズムが生んだあらゆるカテゴリーから逸脱しようと努めていた。「俺は気分屋だと思われてるけど、男性ヴォーカリストには2種類しかないっていう固定観念は本当にくだらないと思う」彼はそう不満を漏らしている。「マイケル・スタイプのような気まぐれな天才肌か、サミー・ヘイガーのような頭空っぽのヘヴィメタパーティ野郎、そのどっちかしかないんだ」自身が名声を手にしつつあると自覚した時、カートはその両方を演じることにした。

Translated by Masaaki Yoshida

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