元マネージャーが語る、ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』が世界を変えた瞬間

パリのLe Zenithでのカート・コバーン 1992年6月24日(Photo by Gie Knaeps/Getty Images)


私はゲフィンのポップ部門のプロモーション担当者に、同曲を冒険心のあるポップ系各局に売り込んでみてはどうかと提案した。彼はオブラートに包みながら、当時そういったラジオ局で受けていたのはポーラ・アブドゥルのような踊れる曲であり、ラウドなギターを使った曲はもれなく敬遠されていると諭してくれた。シアトルのTop 40系ラジオ局へのアプローチについても、私は彼を説得することはできなかった。しかしほどなくして、アトランタのポップ系ラジオ局Power 99のディレクターだったLeslie Framによって、その問題は解決されることになった。現地の各レコード店でオルタナティブ・ロックの売り上げが伸びていることに気づいていた彼女は、アトランタのTop 40系オーディエンスが新鮮さを求めているのかどうか、その試金石となるようなレコードを探していた。『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』を聴いた時、衝撃で開いた口が塞がらなかった」Framは当時をそう振り返る。同曲が圧倒的な支持を集めたことで、彼女とスタッフたちは局のコンセプトをオルタナ寄りに変更し、その名前を99Xに改めた。それをきっかけに、ゲフィンのプロモーション担当者は心変わりした。また多くのポップ系ラジオ局が99Xに追従したことも、バンドにとって追い風となった。「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」はポップのフィールドでヒットし、ビルボードのHot 100チャートで6位を記録した。

ポップ系ラジオ局での支持を勝ち取ったことで、ニルヴァーナは独自の立ち位置を確立した。彼らの音楽はパンク、大衆寄りのオルタナティブ、メタル、メインストリームのロック、そしてポップのリスナーにまでアピールすることが証明された。それはまさに、カートがずっと昔から思い描いていたヴィジョンだった。彼が日記に記していたお気に入りのアルバムリストには、アバやブラック・サバス、R.E.M.、そしてブラック・フラッグが頻繁に登場していた。

当時MTVは、アメリカの音楽文化において絶大な影響力を誇っていた。1992年の終盤に、カートはアルゼンチンの記者にこう語っている。「アメリカじゃMTVは神のような存在だ。ものすごい影響力を持っていて、誰もが見てる」黄金期のR.E.M.の作品を多数手がけ、『MTV アンプラグド』を含むニルヴァーナのプロジェクトにエンジニアとして関わったスコット・リットはこう語る。「当時のMTVの影響力は絶大で、誰も彼らに逆らえなかった。50年代のポップスのラジオ局と同じで、長いものには巻かれるしかなかった」

Amy Finnertyは1989年に、MTVで雑用係として働き始めた。ほどなくして親しくなったJanet Billigから誘われる形で、彼女はイースト・ヴィレッジにあったPyramid Clubで行われた、『ブリーチ』を発表したばかりだったニルヴァーナのライヴに足を運んだ。「凄まじいライヴだったわ。ショーが始まったのは深夜0時よりも後で、オーディエンスはせいぜい20〜30人程度だったけど、カートは演奏後に思いっきりギターを破壊してた」ライヴの後、バンドのメンバーたちと共にJanetの自宅に行った彼女は、そこで初めてカートと言葉を交わした。

数ヶ月後、ニルヴァーナがコロムビア・レコーズとのミーティングのためにニューヨークを訪れていた際に、彼女はコンサート会場のバックステージでカートに会い、改めて自己紹介した。彼はこう言ったという。「俺のことを知ってるなんて信じられないな、ちっぽけなバンドなのにさ」カートとクリスは彼女がMTVという「巨大企業」に勤めていることを冷やかし、冗談で彼女にビールを浴びせるふりをしたという。

1991年の夏、Finnertyは22歳になっていた。当時彼女は、カートのルーツである80年代のパンクカルチャーにまだ夢中だった。MTVの番組編成を担当していた人々は、全員が彼女よりも10歳以上年嵩であり、そういったカルチャーへの理解が乏しかった。MTVでは毎週月曜日に、どのミュージックビデオをどの程度の頻度で流すかを決定する「音楽会議」が開かれており、彼女は若者ならではの感性と情熱をもって、その会議に自身を参加させるよう上層部の人間たちを説得した。「私はヒエラルキーの最下層にいたけれど、彼らがターゲットとする層と同年代の人間はチーム内に私しかいなかった。他のメンバーは勤続10年以上の古株ばかりで、フィル・コリンズみたいなアーティストが今時の若者から支持されると考えてた」

各レコード会社で「オルタナティブ」ロックを推していた人間たちは、MTVを味方につけようと躍起になっていた。夏が終わりに差し掛かる頃、ゲフィンはニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオでガンズ・アンド・ローゼズの新作のリスニングパーティを開催し、Mark KatesはFinnertyを招待すると共に、イベント後に『ネヴァーマインド』のテープをいち早く渡すと約束した。「ガンズ・アンド・ローゼズは別に嫌いじゃなかったけど、2枚組アルバムの試聴会はとにかく長くて、早くニルヴァーナのテープをもらって帰りたいってずっと思ってた。イベントが終わって、徒歩で自宅に向かいながらウォークマンでそのテープを聴いたんだけど、これは大ヒットするって確信したわ」

Translated by Masaaki Yoshida

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