元マネージャーが語る、ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』が世界を変えた瞬間

パリのLe Zenithでのカート・コバーン 1992年6月24日(Photo by Gie Knaeps/Getty Images)


カートとアクセル・ローズは後に犬猿の仲となるが、『ネヴァーマインド』がリリースされる何週間も前から、ローズは面識のなかったバンドをサポートする姿勢を見せている。「ドント・クライ」のミュージック・ビデオで、彼はプロモーション用に作られたニルヴァーナのハットを被っている。もう1人の意外なサポーターは、元ヴァニラ・ファッジのドラマーでメタル界のアイコン、カーマイン・アピスだ。彼が結成したばかりだったブルー・マーダーはゲフィンと契約しており、彼はいち早く手にした『ネヴァーマインド』を聴いて感銘を受け、Circus誌に寄せたドラミングについてのコラムでグロールのことを賞賛している。

秋が終わりを迎える頃には、ロサンゼルスにあるメタル専門局KNACで7曲がローテーション入りしていた。ロージーはこう振り返る。「ダラスに拠点を置きつつ全米にネットワークを持っていたメタル専門局、Z-Rockのプログラムディレクターは当初、ヴァン・ヘイレンを好むようなトラックの運転手たちはニルヴァーナを敬遠するのではないかと危惧していた。でも蓋を開けてみれば、『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』はZ-Rock史上最も多くプレイされた曲になった」

当時ロージーはまだ20代前半だったにもかかわらず、伝統的なプロモーションにこだわっており、ニルヴァーナの繊細な一面を把握しきれていない節があった。カートの一部はロックンローラーとしての自身に誇りを持ち、エアギターで唸りを上げるようなリフを弾いていた。しかしその一方で、フェミニストでありゲイの人々をサポートしていた彼は、男性が中心のメタルヘッズたちが自分のそういった部分に共感するとは考えにくかったことから、レーベルによるメタル方面への積極的なアプローチには複雑な思いを抱いていた。バンドがゲフィン本社を訪れたある日、CMJのメタル部門のエディターと電話していたロージーは、カートを驚かせようと受話器を手渡した。彼はこう語る。「カートは口を閉ざしてしまって、Silvaは僕が彼を痛めつけたと言った」それからしばらくの間、カートはロージーとの間に距離を置くようになったという。

サンプル

当時はロック系とポップ系両方のラジオ局でもてはやされるロックの曲が、必ず年に幾つか生まれていた。その多くはポイズンの「エヴリ・ローズ・ハズ・イッツ・ソーン」のような、キャッチーなロックバラードだった。私とGershとSilvaの3人は、『ネヴァーマインド』の中でポップ系ラジオ局でかけてもらえる曲があるとすれば、比較的穏やかでメロディックなフックのある「カム・アズ・ユー・アー」だろうと考えていた。しかし「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の圧倒的な反響は、瞬時にして我々に考えを改めさせた。ヒットを確信しているものに倍賭けすることは、音楽業界における定石だ。

Translated by Masaaki Yoshida

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