元マネージャーが語る、ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』が世界を変えた瞬間

パリのLe Zenithでのカート・コバーン 1992年6月24日(Photo by Gie Knaeps/Getty Images)


翌週、Silvaと私が出席したDGCでのマーケティング会議の場で、Katesは興奮を抑えきれない様子だった。メジャーなラジオ局は通常、プレイリストに新たに加わった曲は日に1〜2回プレイし、リスナーからの反応を見つつ、数週間後にローテーションのペースアップを検討するというステップを踏む。しかし各ラジオ局には既に、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」をかけて欲しいというリスナーからのリクエストの電話が殺到していた。圧倒的な要望に応じる形で、わずか数日後に幾つかの主要局は同曲をヘヴィローテーションさせることを決定した。アルバムの発売はまだ数週間先だったが、Farrellのところには各インディーレコード店に予約が殺到しているという知らせが届いていた。当時はレコードのプレオーダー自体が極めて稀であり、インディーでアルバムを1枚発表しているだけのアーティストとしてはまさに前代未聞だった。DGCで働き始めて以来、ザ・キュアーやデペッシュ・モード級の作品を扱う機会に恵まれるとは思っていなかったというKatesは、『ネヴァーマインド』はそれらを上回るのではないかと感じ始めていた。

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コートニー・ラヴ、フランシス・ビーン・コバーン、Danny Goldberg、そしてカート・コバーン(Photo by Jeff Kravitz/FilmMagic)

『ネヴァーマインド』が大々的な宣伝や積極的なマーケティングを必要としなかったことを、クリスは誇りに思っているという。「後年になってインターネットが普及すると、人々はマーケティングが作り出した現象と、ユーザーに求められて生まれた文化を区別するようになった。俺たちは紛れもなく後者だった」

ラジオ局でシングルが解禁された翌週、ソニック・ユースのブッキングエージェントBob LawtonがSilvaに電話をかけてきた。彼は前日の夜にニューヨークで開催されたガンズ・アンド・ローゼズのコンサートに足を運んでおり、開演前のBGMで「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のイントロが流れるやいなや、客席から大歓声が上がったという。その話を聞いて、我々は興奮せずにはいられなかった。ニューヨークにはメジャーなオルタナ系ラジオ局が存在しなかったが、彼らの多くはオルタナロックを中心にプレイしていたロングアイランドのWDREで曲を耳にしていたのだろう。そういった状況下で歓声が起きたことは、あの曲が驚くべきスピードで浸透していることを物語っていた。それに我々は、ガンズ・アンド・ローゼズのファンがニルヴァーナを好きになるとは思ってもいなかった。

そういった明るい兆候にもかかわらず、ゲフィンのスタッフの多くは未だにニルヴァーナのことを、話題にはなるが大きな利益を出さないコアなバンドだとみなしていた。レーベルのプロモーションチームはそういった見方を改めさせるべく、同社のオフィスがあるサンセットストリップの真向かいにあった伝説的ライブハウス、Roxyでニルヴァーナのライブを企画するよう我々に依頼した。オルタナ系アクトには無関心だったレーベルの重役も、ライブを見ればバンドが秘めた可能性を理解するはずだと彼らは考えていた。シングルのミュージックビデオを撮影した直後だった8月半ばに行われたそのライブには、レーベルのほぼ全社員が出席した。

私が数十年後にゲフィンの社員たちと話した時、彼らはあの時のライブが自身のキャリアにおいて至福の瞬間だったと語った。500人収容のRoxyは人で埋め尽くされ、その大半は業界人だったが、中にはバンドのファンやミュージシャンもいた(ロージーによると、メタルバンドのウォリアー・ソウルのシンガーが「ブリード」の最中にモッシュしていたという)。当日のニルヴァーナは、真骨頂であるタイトでパワフルなパフォーマンスを見せつけた。ライブ後のカートはいつものようにショーの出来を悲観し、ギターの弦を切ってしまったことを悔いていた。私はマネージャーの責務としてライブの出来を讃えたが、それは紛れもない本心だった。

Translated by Masaaki Yoshida

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