元マネージャーが語る、ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』が世界を変えた瞬間

マーケティングにおいてバンドが重視したのは、従来のファンを失うことなく新たなリスナーを多数獲得することだった。アーティストたちが頭を悩ませるレコード会社やメディアとの摩擦は、ロックのリスナーの価値観と大きく関係している。自分とごく少数の友達だけが夢中になっていたアーティストが有名になり、仲の悪いクラスメイトがその曲を口ずさむのを耳にして一気に思いが冷めるというケースは少なくない。そういったことを気にかけていたカートは、10代だった頃の自分が納得する形で成功に対処したいと考えていた。彼はこじんまりとしたサブカルチャーのシーンの住人であることを自覚しながらも、大勢のオーディエンスと共にアンセム的コーラスやパワフルなリフに熱狂する喜びも知っていた。

百聞は一聴にしかずだった当時、音楽業界における最重要マーケティングツールはラジオだった。CMJの統計の対象となるカレッジ系ラジオ局は、「スリヴァー」と『ブリーチ』と収録曲を頻繁にプレイするなど、早い段階からニルヴァーナを支持していた。パンクロックとしてのニルヴァーナのファンを繋ぎ止めておく上で、若いカレッジDJたちは不可欠な存在だった。バンド側から言われるまでもなく、レーベルは『ネヴァーマインド』のプロモーションをカレッジ系ラジオ局へのアプローチからスタートさせた。

その一例として、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のミュージックビデオにおけるペップラリーに登場するエキストラたちは、ロサンゼルスの空港の近くにあるLoyola Marymount Universityが運営に携わる非営利目的のコミュニティラジオ局、KXLUを通じて公募された。KXLUは極めてリベラルであり、リスナーはごく少数の人々と秘密を共有しているような気分になることができた。南カリフォルニアの他のラジオ局では耳にしないインディーロックを、KXLUは当時から積極的にプレイしていた。自分たちの出自を忘れないという意思表示として、バンドは「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の音源が各ラジオ局に送られる前日にKXLUのスタジオを訪れ、同曲をプレミア公開している。

カートを同スタジオまで車で送ったのは、ロージーと呼ばれていたプロモーション担当の若手社員John Rosenfelderだった。一方クリスとデイヴを乗せた車の運転は、プロモーション部門のアシスタントだったSharona Whiteが務めた。「僕らの車は405の高速を並走していたんだけど、メンバーたちは窓越しに食べ物を投げたりしてじゃれ合ってた」ロージーはそう話す。当日、初めてインタビューの場で『ネヴァーマインド』について語った彼らは、翌日に予定されていた「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のミュージックビデオ撮影への参加をリスナーに呼びかけた。

インディーのファンを大切にしようとする一方で、バンドがメジャーレーベルと契約を交わしたのにはいくつか理由があった。そのひとつは、より大衆的なラジオ局で曲をかけてもらうことだった。

そういったラジオ局は広告主へのアプローチを念頭に置き、スポンサーらが求めるリスナー層にアピールするジャンルにそれぞれ特化していた。ポップ(またはトップ40)系のラジオ局は10代前半の子供たち、特に女性リスナーをターゲットとしていた。一方でロック系のラジオ局は10代後半の若者や大学生のリスナーが中心で、その大半は男性だった。当時はラジオ局専門のコンサルタント企業が数多く存在しており、彼らは局の電波が届く範囲内において最大限の宣伝効果を得る上で、最も効果的とされる楽曲選定および放送時間帯の決定を請け負っていた。

メジャーレーベルにおける制約の多くは、そういった各ラジオ局への依存に由来していた。レコード会社のプロモーションチームがどれほど有能であろうとも、彼らはラジオ局のお偉方たちの前ではひたすら頭を下げるしかなかった。その一方で、各ラジオ局は常にリスナーの顔色をうかがっているという状況だった。自身も熱心なリスナーであるラジオ局のコンサルタントたちもまた、やはりリスナーの動向を常に注視していなくてはならなかった。悪い評価が2〜3期続くと、彼らは転職を迫られるからだ。広告スポンサーからの出資金額はその評価に基づいて決定されており、特に評価の高いラジオ局はリスナーにチャンネルを変えさせる傾向がある曲を敬遠した。アーティスト名に無頓着でラジオをBGMとして楽しむ人々と、コンサートのチケットにお金を払う熱心なリスナーを、広告主たちは区別しようとしなかった。アーティストやレコード会社の人間は、関心の低いカジュアルリスナーこそが最も影響力を持っているように感じていた。

評価の高いロック系ラジオ局の大半が、ポイズンやスキッド・ロウ等のいわゆるヘアーバンドのメロディックでポップな曲を好んでかけたことには、そういったマーケティングの影響力が大きく関係していた。またそういったバンドの人気は、MTVでのヘヴィーローテーションによってさらに加速していた。市場を独占していたMTVは各ラジオ局よりも多様で幅広いプレイリストを作成できるとしていたものの、番組編成を担当する人々はそういったラジオ局の出身であることが多く、彼らがそういったマーケティングの影響を受けていることは間違いなかった。

Translated by Masaaki Yoshida

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