MySpaceの一斉アーカイヴ消去に見る、ネット上で保存する思い出の行く末


「サードパーティへ委ねた情報を取り戻す方法は我々にはない」とセアラ・ディタムは、2019年3月、ニュー・ステイツマン誌に寄せた予言的な論説に書いている。「我々はFacebook、Gmail、Dropboxに置いたデータが明日もそこにあるものとして、日々使用している。しかしその思い込みは見当違いなものかもしれない」と彼女は言う。しかもその思い込みは、ひどく深刻な結果につながることもある。redditにもいくつかの悲痛な投稿が見られる。ある父親は、20歳で亡くなった息子が7歳の時に録音したギターのデモ音源に、二度とアクセスできなくなってしまったという。セックス後の恥ずかしいセルフィーやテイキング・バック・サンデイの歌詞を引用したステータス・アップデートなどが消去されることを“ありがたい”と言える人もいるかもしれないが、愛する者を失った人々にとってはそういう風には感じられない。細いつながりかもしれないが、インターネット上でのつながりが家族にとって唯一のつながりである場合もあるのだ。

これはMySpaceと共に成長した者のやる気を奪う。移行期であるMySpace時代、全ての言葉や行為が参考文献に値するという考え方が、好ましくない性格的特性から、社会の機能するメンバーであるための必須条件となった。しかしMySpace以降の世代は、ぞっとするに違いない。起きている間はずっとネットにつながり、大人になったら医者や人権派弁護士になるよりもYouTuberになりたいと思うようなデジタルカルチャーに没頭して育ったジェネレーションZにとって、バックアップシステムなど存在しない。ソーシャルメディア向けのウェイバックマシンやアーカイヴもない。彼らのデジタルライフと現実の生活は本質的に一体化しているが、デジタルライフの方を維持できるかどうかは、完全に大企業の気まぐれ次第なのだ。

子どもたちに健全なインターネットの使用法の実践を促す(Instagramに人種差別的なハロウィーンのコスチュームを着た写真を投稿しないことや、友だちへSnapchatでくだらない写真を送らないこと等)ため、インターネットの危機管理を専門とする人たちはよく、「インターネットは永遠だ」と言う。今回のMySpace騒動は、その考えが誤りであることを証明した。少なくとも、インターネット上に文化的思い出のどの部分を残すかを自分で選択することはできない。好むと好まざるとにかかわらず、インターネット上には勝手に選ばれたものしか残らない。インターネットはあなたの友人ではないのだ。自分が望んだとしても、恥ずかしい白黒の自撮り写真を削除してくれず、高校時代のバンドのデモ音源を残しておいてくれたりもしない。インターネットはインターネットなのだ。何も考えず、何も感じず、引っ掻き回し、ほとんど企業広告のみで生き延びている。人々の思い出を残しておくことがインターネットにとって利点でなくなった時、善かれ悪しかれ、インターネットは記録をただ止めてしまうだろう。

Translated by Smokva Tokyo

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