MySpaceの一斉アーカイヴ消去に見る、ネット上で保存する思い出の行く末


しかし結局、自分のMySpaceのコンテンツへ簡単にアクセスしたいかどうかは、MySpaceがどうあるべきかという問題とは別だ。残念な自撮り写真、誰をトップ8に置くかどうかの絶え間ない心の葛藤、崇高な歌詞を引用したステータス・アップデートなど、これら全てはバツの悪いものだが、我々の記憶の中にあり、ますますインターネットに依存する青春時代の証といえる。さらにそれらは、17世紀のユダヤ人コミュニティの助産婦の日記や、ジョン・レノンが『デイ・トリッパー』のリフを書きながらオーダーしたサンドイッチと同じくらい貴重な歴史上の記録だ。我々がMySpaceのコンテンツを残して欲しいかどうかということは問題でない。コンテンツがどこかへ消え去った今、ノスタルジーを覚えずにはいられない。

一方のMySpace側は、データの消去をそれほど悔いているようには思えない。数百万ユーザーのコンテンツをいわば一夜の内に消去した“不便”について、軽く謝罪を表明したのみだ。公正を期すために言うと、同様の罪を犯したプラットフォームはMySpaceだけではない。2000年代初頭にブロガーの主要ハブだったGeocitiesも、アーカイヴを消去した。また、Googleが失敗したソーシャル・ネットワーキング・ベンチャーGoogle Plusも、同様のデータ消去を経験している。しかしガーディアン紙が指摘したように、どちらの事例においても、サイト側はアーカイヴを消去する前に告知し、ユーザーが削除前に保存する猶予を与えている。

MySpaceのニュースを受け、FacebookやYouTubeなどMySpaceよりもずっと社会に定着しているソーシャルメディア・プラットフォームも同様の運命を辿り、コンテンツクリエイターのキャリアを事実上終わらせてしまう可能性があるという、ぞっとするような予想を立てる者まで出てきた。特に今すぐ起きるとは思えないが、FacebookやYouTubeのような勢いの止まらないパワープラットフォームがどれだけコンテンツを蓄積していても、或いはどれだけ多くのコンテンツが、機械学習アルゴリズムに従って予告なしにプラットフォームから削除されていたとしても、長い目で見れば、それらプラットフォーム上にあるコンテンツの大量消去はほとんど避けられないように思われる。

Translated by Smokva Tokyo

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