1994年のクエンティン・タランティーノ 映画界の「狂人」が描く世界

『パルプ・フィクション』出演者の面々とタランティーノ(左から3番目)(Photo by Eric Robert/Sygma/Sygma via Getty Images)



一部の批評家からの批判とカンヌ映画祭での受賞

一部の批評家は、タランティーノの作風が独創性に欠けると批判する。『レザボア・ドッグス』が、キューブリックの『現金に体を張れ』を含むヴィンテージ作品の焼き直しだと批判する声もある。「メディアの大半は好意的で、基本的には満足してるよ」。彼にとって唯一の心残りは、「俺にとってのキングスフィールドであり、最大のインスピレーション」とするニューヨークの映画批評家ポーリン・ケイルが、『レザボア・ドッグス』の公開時に既に引退してしまっていたことだという。



「皮肉なことに一部の批評家は、あの映画がリアリティに欠けるオマージュ作品で、フィルムスクール的だって表現したんだ。俺はそうは思わない。リアリティはあの映画の魅力の一つだと、俺は自負してるんだ。観客はあの映画を通じて、犯罪者の心理を垣間見ることができる。でもあの作品が古い映画のオマージュだっていう見方には、共感できる部分もあるよ。俺が尊敬するディレクターの多くは、それと同じことをやってるからね」。タランティーノはそう話すと、突然顔に満面の笑みを浮かべた。「ぶっちゃけると、実際によそからパクったシーンもあるんだ。誰も気づいてないけどね」

「先人たちが育んできた土壌の存在は、映画作りの面白味の一つだと思ってる」。彼はそう話す。「その土壌はあくまで出発点であって、そこからどこに向かうかは自由だ。俺は映画のために存在するような映画と、リアリティに満ちた映画を組み合わせたようなものを作りたい。いかにも映画らしいストーリーでありながら、息を呑むほどにリアルな展開が待ち受けているような映画さ」

これまでの作品で芸術的な残忍さというトレードマークを確立したタランティーノは、バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパーと並んで、暴力描写を芸術に昇華させる存在として語られるようになった。敬虔なカトリックでポップ・ミュージック愛好家というタランティーノならではのチョイスといえる、スティーラーズ・ホイールが70年代に残したクラシック「スタック・イン・ザ・ミドル・ウィズ・ユー」をバックに繰り広げられる、『レザボア・ドッグス』の耳を切り落とすシーンが頭から離れないという視聴者は少なくないだろう。

「途中で席を立つお客さんもいたけど、全然気にしてないよ」 。タランティーノはそう話す。「それだけあのシーンが強烈だったってことだからね。レンタルビデオ屋でアクションものの映画を適当に10本選んだとしたら、そのうち9本は俺の映画より残忍なはずさ。でも俺はそういうアニメじみたものには興味ないんだ。俺はリアルな暴力を描きたいんだよ」

スペインで開催されたホラー映画祭(同会場ではその後、Brain Deadというスプラッターものに特化したフェスティバルが開催されている)で、彼の作品が早い時間帯に上映された際に、観客の中にはサディスティックなシーンに耐えかねる人もいたという。「あの拷問シーンの最中に、15人くらいの人間が席を立った。(カルトホラームービーの有名ディレクター)ウェス・クレイヴンや、(ホラー映画における特殊効果のスペシャリスト)リック・ベイカーもその一人だった」。タランティーノはそう話す。「あの『鮮血の美学』を撮ったウェス・クレイヴンだぜ。『ZOMBIO/死霊のしたたり』を撮ったスチュアート・ゴードンが審査員の一人だったんだけど、彼は両手に顔を埋めてた。最高の気分だったよ」。のちにタランティーノとベイカーが偶然顔を合わせた際に、ベイカーは彼にこう伝えたという。「クエンティン、僕は君の映画の途中で席を立ったけど、あれは賞賛の証だと受け止めてほしい。僕はファンタジーの世界に生きる人間で、狼人間や吸血鬼のような架空の存在には慣れてる。でも君が描く本物の暴力には、僕は免疫がないんだ」

2人の男性が繰り広げるSMレイプのシーンは、過剰なほどに見ごたえのある『パルプ・フィクション』における名場面の一つだ。「『脱出』にもそういうシーンがあるよね」。彼はそう話す。「『アメリカン・ミー』もそうだ。あの映画にはケツを掘るシーンが3回くらい出てくる。その点においては、あの作品を超えるのはかなり難しいな」

『パルプ・フィクション』がカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したことは、批評家たちのみならず、タランティーノ本人をも驚かせた。「思いもよらなかったね」。彼は笑顔でそう話す。「俺たちの作品はまるで注目されてなかったからね、まさに大番狂わせさ。あの作品が受賞したことで、パルムドールの意味を知った人も多かっただろう。セックス、噓、ビデオテープ、そういうものが世間を賑わしたんだ。パルムドールを獲った後、俺はパリに行って休暇を取ったんだけど、あれは大きな間違いだった。フランスの人々にとってカンヌ映画祭は、アメリカ人にとってのアカデミー賞なんだ。パリに滞在していた間、いろんな人からこう言われたよ。『お前があの名誉な賞を奪い取ったアメリカ人だな』ってね」

作品に起用した女優との熱愛の噂もなく、現在はシングルだというタランティーノは、しばらく休暇を取るつもりだという。「ちょっと自分の時間を持ちたいんだよ」。彼はそう話す。しかしその数週間後には、タランティーノが仕事に復帰するという噂が流れた。彼は10月にラスベガスで撮影が開始するジャック・バラン監督作、『ジョニー・デスティニー』で主演を務めるほか、その後は『フォー・ルームス』と題されたオムニバス映画に、アリソン・アンダース、アレクサンダー・ロックウェル、ロバート・ロドリゲス等の映画監督たちと並んで参加することが決定している。

カート・コバーンが『イン・ユーテロ』のライナーノーツで感謝を捧げたタランティーノは、映画界におけるスラッカー・アイコンとなりつつある。しかし息子の思いを尊重すべく『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を観るのをボイコットしている彼女の母親は、成功はクエンティンを変えてはいないと主張する。「特に変化は見られないわね。あの子が自信たっぷりなのは昔からだから」

長期的なキャリアを展望するタランティーノは、常に予測不可能な存在でありたいと話す。「ハリウッドにおけるキャリアのパターンは、主に2つしかないんだ」。思い入れのある品々でごった返した自室のソファに腰掛け、彼は心地好さそうに話す。「スタジオの犬になるか、自己満足をひたすら続けるかのどちらかだ。どちらも危険な道さ。誰だってスタジオの言いなりにはなりたくないけど、我が道を突き進みすぎて誰にも相手にされなくなるのは避けたい。でも他の道もあると思うんだよ。作品に見合っただけの予算を手にして、自分がいいと思うだけじゃなく、世間が興味を持ってくれるような映画を撮り続けるっていう道がね」

そして最後に締めくくった。「俺はそういう道を進んでいくだけさ」


クエンティン・タラティーノ
1963年、米テネシー州生まれ。1992年公開の『レザボア・ドッグス』で脚本家・映画監督デビュー。その後、『パルプ・フィクション』(94年)をはじめ長編映画を9作発表し、2019年には10作目となる『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が控えている。また役者としても活躍し、この記事にも出てくる『レザボア・ドッグス』においてミスター・ブラウンを演じた彼は、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」の真意について、劇中でミスター・ピンク(スティーヴ・ブシェミ)と議論を交わしている。



Translated by Masaaki Yoshida

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