1994年のクエンティン・タランティーノ 映画界の「狂人」が描く世界

『パルプ・フィクション』出演者の面々とタランティーノ(左から3番目)(Photo by Eric Robert/Sygma/Sygma via Getty Images)



「俺は今も暇さえあれば映画を観に行ってる」

ある晴れたハリウッドの午後、クエンティン・タランティーノはいつものように映画を観に出かけた。撮影で忙しい最近は映画を観る時間が奪われがちだが、今日は別だった。彼はロサンゼルス・カウンティ美術館でランチタイムに開かれた、『狂恋』のスクリーニングに来ていた。「今日ここに来てる人の大半は、1935年に作品が公開されたときにリアルタイムで観たんじゃないかな」。高齢者が大半を占めた客席を見渡しながら、彼はそう話す。

カール・フロイントによるユーモアの効いた『狂恋』(のちに『芸術と手術』としてリメイクされている)では、ピーター・ローレが演じる愛に溺れた博士が禁断の手術を実行する。同作を観るのは初めてだとしながらも、タランティーノは既に作品について熟知しているようだった。「この作品の監督はメトロポリスで撮影技師をやってたんだ」。彼は興奮した様子でそう話す。「ポーリン・ケイルの有名なエッセイ『スキャンダルの祝祭』によると、この作品は撮影技師のグレッグ・トーランドが関わっていて、のちに公開される『市民ケーン』の試金石になってるらしい」。話し終えると同時に劇場の明かりが落とされ、彼は満面の笑みを浮かべて座席に深く腰掛けた。

映画を観終えて外に出ると、タランティーノは眩しいほどに晴れ渡ったロサンゼルスの街を歩き始めた。 『レザボア・ドッグス』に登場する色気のないダイナー、Johnnie’sの近くの店でランチをとりながら、晴れた日の午後に映画を楽しむようなことは滅多にないのかと尋ねると、彼はこう答えた。「そんなことないよ。俺は暇さえあれば映画を観に行ってる。時々インタビュアーから、俺の典型的な1日を再現してほしいって言われるんだ。たぶん俺が乗馬とかやってると思ってるんだろうけど、見当違いもいいとこさ。俺がすることといえば映画館に行くか、友達と集まってTVを見るかのどっちかさ。映画館をハシゴすることもあるよ。あとはたまにカフェに行くぐらい。それ以外のときは仕事してるよ」

彼のそういった生活パターンは今に始まったことではない。ロサンゼルス国際空港のそばにあるサウスベイエリアで過ごした幼少期から、そのルーティンはほとんど変わっていない。彼の両親はクエンティンが2歳の頃に離婚し、母親のコニーは彼を連れて、学生時代を過ごしたテネシー州のノックスビルから西海岸へと移った。現在は再婚しているコニー曰く、クエンティンは当時から映画に強い興味を示していたという。「寛容すぎるってよく言われたわ」。彼女はそう話す。「映画を観に行くときは必ずあの子を連れていってたの。内容が適切かどうかなんてことはまるで気にしなかった」。ほどなくして未来の映画監督のベッドルームは、現在の住処の原型といえる様相を呈するようになった。「自分の寝室以外には浸食させないように目を光らせてたわ」。彼女は笑ってそう話す。

 10代の頃、タランティーノはトーランスにあったポルノ専門の映画館、Pussycat Theaterで案内役として働いていた。その時点で彼は、『Captain Peachfuzz』『Anchovy Bandit』という2作の脚本を完成させていた。16ミリ作品『My Best Friend’s Birthday』(結果的に未完成に終わる)の撮影に着手したばかりだった22歳のとき、タランティーノはVideo Archivesで働き始める。小規模ながら「ロサンゼルス屈指のレンタルビデオ店」とされる同ショップに勤めた経験は、彼に様々な恩恵をもたらした。同じくそこで働いていた友人のロジャー・エイヴァリーは、初監督作品『キリング・ゾーイ』で、タランティーノをエグゼクティヴ・プロデューサーに迎えている。「カイエ・デュ・シネマに対するロサンゼルスからの回答、それがVideo Archivesさ」。タランティーノは笑ってそう話す。「ウィリアム・モリス(業界最大手のエージェント会社)の従業員たちは、『シーンについて知りたければ、Video Archivesに行け』って言われてたらしいよ」

「何年もの間、俺はあそこに住み込み同然で勤めてた」。彼はそう続ける。「店を閉めた後は、一晩中そこで映画を観てた。俺とロジャー、それに友達のスコットの3人で金曜にシフトを入れて、新作を4本立て続けに観たこともあったな。俺たちは稼いだ金を、そのまま映画業界に還元してたんだ」

「クエンティンはあの頃から話し上手だったよ」。エイヴァリーはそう振り返る。「当時との大きな違いは、世間が彼の言葉に注目するようになったってことだ」。出会ったばかりの頃、2人は互いのことをライバル視していたという。「どっちがより映画に詳しいか、競い合ってるような節があったね」。エイヴァリーはそう話す。「でもしばらくして、互いに異なるタイプの人間でありながらも、映画の趣味は共通してるって気づいたんだ。俺たちの出会いは運命だったんだよ」 。近年は映画作りのノウハウを独学で身につけたディレクターの活躍が目立っているが、『パルプ・フィクション』に原作者の1人としてクレジットされているエイヴァリーは、自身とタランティーノをそのムーヴメントの一部とみなしている。「フィルムスクールはもう完全に商業化されてしまってる」。エイヴァリーはそう話す。「今業界を賑わせてる新進気鋭のディレクターたちは、みんなレンタルビデオ店で働いてたんだ。無数の映画に接することで、ユニークな感性を養ってきたんだよ」

Translated by Masaaki Yoshida

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