ブルース・スプリングスティーンの名曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」に隠された誕生秘話

『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』ツアー、ステージで演奏するブルース・スプリングスティーン。1984〜85年頃。(Photo by Ebet Roberts/Redferns)

ローリングストーン誌のシニアライター、ブライアン・ハイアット氏による新刊『Bruce Springsteen: The Stories Behind the Songs』が今年3月に刊行された。同書で語られた「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」にまつわる物語を独占公開。

私の新刊『Bruce Springsteen: The Stories Behind the Songs』では、これまで公式にリリースされたブルース・スプリングスティーンのスタジオ音源について、1曲ごとにまつわる物語を伝えている。本人との5回のインタビューを含めた長年の取材レポートに加え、彼がキャリアを通じて関わってきたミュージシャンやプロデューサー、その他のコラボレーターたち(マックス・ワインバーグ、ロイ・ビタン、ニルス・ロフグレン、スージー・タイレル、トム・モレロ、デイヴィッド・サンシャスほか多数)の60時間を超える新規インタビューがこの本には収められている。その一部を、2004年からスタッフとして関わっているローリングストーンで独占公開させてもらえることを誇りに思う。本の中では1曲ごとに章が別れているが、ここではスプリングスティーンが1984年に発表したアルバムのタイトルトラックについて抜粋したものをご覧いただこう。



1968年、ブルース・スプリングスティーンは兵役から逃れようとしていた。ニュージャージー州ニューアークの選抜徴兵局に、自分がベトナムでの戦闘にいかに不向きであるかを伝えるために奮闘し、ゲイでありLSD常習者であるとも主張したがそれは必要のないことであった。前年のバイク事故で患った脳震盪が原因で、彼は身体検査を通らなかったのだ。スプリングスティーンは安堵し大いに喜んだが、数年後、罪悪感を抱くようになった。「誰が自分の代わりに行ったのだろうと思うことが時折あった」と、彼は回顧録『ボーン・トゥ・ラン』に綴っている。

1978年頃、スプリングスティーンは盲目的愛国者だったロン・コーヴィックが海軍に入隊し、ベトナム戦争から下半身不随で帰還して反戦活動家となったという強烈な回顧録『7月4日に生まれて』を読んだ。彼がアリゾナのドラッグストアでその本を購入してまもなく、ロサンゼルスのサンセット・マーキス・ホテルのプールで、コーヴィック本人が彼のところにやってきた。彼らは意気投合し、コーヴィックは米国ベトナム戦争退役軍人会の創設者の1人である活動家ボビー・ミュラーを彼に紹介した。1981年、ジョン・ランドーのサポートの下、スプリングスティーンとEストリート・バンドはこの団体のためのアリーナ・チャリティ・ライブを行い、その多くが障害を持つ退役軍人がステージ横の特別席から鑑賞した。このライブはアメリカのベトナム戦争退役軍人の活動において重要な節目となった。デイヴ・マーシュの著書『グローリーデイズ ’80年代のスプリングスティーン』によると「ブルースとあの夜がなければ達成することはできなかった」とミュラーは語っている。

Translated by Takayuki Matsumoto

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