ロイ・エアーズの証言から解き明かす、ブラックミュージックの先駆者となった4つの理由

2019年3月にブルーノート東京で来日公演を行ったロイ・エアーズ(Photo by Great The Kabukicho)

今年3月に来日公演を行ったロイ・エアーズに、『Jazz The New Chapter』シリーズで知られる柳樂光隆がインタビュー。本人の発言を踏まえつつ、1940年生まれの“キング・オブ・ヴァイブス”を再考する。

ロイ・エアーズという音楽家の作品を聴き返していると、あまりに特異で驚いてしまった。

90年代に育った僕らの世代にとって、彼はドクター・ドレ、ア・トライブ・コールド・クエスト(以下ATCQ)、メアリー・J. ブライジなどのサンプリングソースだったり、レアグルーヴやクラブジャズ系DJの定番みたいなイメージが強くて、とりあえずクラブカルチャー経由で聴かれている音楽という印象が強かった。


ロイ・エアーズ・ユビキティの代表曲「Everybody Loves the Sunshine」は、 メアリー・J.ブライジ「My Life」やドクター・ドレ「My Life」にサンプリングされた。

ただ、当時のイメージから少し離れて、音楽家としてのロイ・エアーズを改めて見直すと興味深いポイントがいくつもある。今回、短時間ではあったが本人に話を訊く機会を得た。その時の発言も引用しながら、ロイの魅力を考察してみたい。

まず、これはよく言われることだが、彼はジャズやソウル、ファンク、ラテン、さらにはディスコまで様々な要素を融合させた独自のサウンドを作ってきた。ジャズのヴィブラフォン奏者としてキャリアをスタートさせ、ジャック・ウィルソンの『Something Personal』(67年)で名門ブルーノートにも録音を残しているほどのプレイヤーだったが、フルート奏者のハービー・マンによるソウルジャズの傑作『Memphis Underground』(69年)に参加するなど、徐々にジャズの枠をはみ出していく。その頃から自身の作品でもソウルの曲をカバーするようになり、70年にはポリドールと契約すると、自身のグループのユビキティを結成。ここから快進撃が始まる。



Translated by Keiko Yuyama

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