ボブ・ディランの孫・パブロがフォークシンガーへ転身 その野望を語る

ーパブロというのは本名ですか?

そうだよ。パブロ・ネルダにちなんでるんだ。

ー世間の大半はピカソにちなんでいると思っているはずです。

(麻薬王の)パブロ・エスコバルにちなんでると思ってる人はもっと多いよ。

ーあなたが幼かった頃、あなたの父親は『ビー・バッド・ボーイズ』や『アメリカン・パイ3:ウェディング大作戦』といった映画を撮っています。撮影現場に行くことは多かったですか?

そうだね。父さんの撮影現場にも行ったし、祖父のコンサートにもよく行ったよ。小さな頃から何度もね。

ー父親の仕事ぶりから学んだことはありましたか?

やるからには最高のものにしないといけないってことと、絶対に妥協しないってことだね。

ーずっとミュージシャンになることを夢見ていましたか?

最初はバスケの選手になりたいと思ってた。ひどい怪我をして諦めたんだけど、そもそも僕はNBAに行けるほどの選手じゃなかったんだ。背も高くないしさ。でも音楽がやりたいって気持ちは、小さな頃からずっとあったよ。ヒップホップやR&Bからポップ系アクトまで、いろんなタイプのアーティストをプロデュースする機会に恵まれたのはラッキーだったね。

ーあなたのキャリアはオリジナル曲をネット上で公開することから始まりました。そうしようと思い立ったきっかけは?

ラップトップとキーボードだけで作った曲がたくさんたまってたんだ。子供の頃からギターやピアノも弾いてたから、コードの知識もあった。一番のインスピレーションはカニエ(・ウエスト)だったね。

ービートの作り方はどうやって学んだのですか?

独学だよ。毎日何時間も自分の部屋にこもって、全パートに納得がいくまでひたすら没頭してた。大きかったのはDavid Bannerと知り合えたことだね、僕は彼からいろんなことを教わったから。彼は僕の大切な友達だけど、師匠でもある。特に勉強になったのは、他人が作ったビートを完コピするっていうやつだった。課題曲は(カニエ・ウエストの)「オール・オブ・ザ・ライツ」で、僕は丸2ヶ月かけて、あの曲のありとあらゆる音を完全に再現してみせた。曲を解体するっていう作業を通じて、僕は自分なりのビートの組み方を学んだんだ。プロダクションについての知識を身につけてからは、他のアーティストをプロデュースするようになった。



ー「オール・オブ・ザ・ライツ」に限らず、『マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー』からの影響は大きかったんでしょうね。

カニエの作品の中でも一番好きなアルバムだね。あのアルバムには、僕が子供の頃から慣れ親しんだロックンロールの要素が詰まってるんだ。実は「オール・オブ・ザ・ライツ」と「ロンドン・コーリング」のリズムは同じで、単なるバリエーション違いなんだ(両曲をハミングしてみせる)。ラップから今のスタイルに転向した理由についてよく聞かれるけど、コードとメロディ、リズムと歌詞で構成されてるっていうのは、あらゆる音楽について言えることなんだよ。

ー学業との両立に苦労したことはありましたか? 音楽をやりたいという気持ちがありながら、化学の授業に集中することなどは難しかったのでは?

僕は化学はまるでダメだった。毎日のようにセッションするようになってからは、学業はおざなりになっていったね。だから大学に行こうとも思わなかった。やりたいことがはっきりしているのに、別の道に進むための勉強をするなんて馬鹿馬鹿しいからね。エリカ・バドゥ、エイサップ・ロッキー、D.R.A.M、Goody Grace、Brent Faiyaz等と仕事ができたのはすごく幸運だった。

Translated by Masaaki Yoshida

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