セッションドラマーのハル・ブレインが逝去、ビーチ・ボーイズのメンバーが功績を回想

レジェンド・セッション・ドラマーのハル・ブレイン(左)とザ・ビーチ・ボーイズのアル・ジャーディン(右)Michael Ochs Archives/Getty Images

「ヘルプ・ミー・ロンダ」「カリフォルニア・ガールズ」「グッド・ヴァイブレーション」「アイ・ゲット・アラウンド」など様々な曲で叩いたレジェンド・セッション・ドラマーのハル・ブレインが3月11日に90歳で逝去。ザ・ビーチ・ボーイズのアル・ジャーディンが彼の功績を振り返る。

ザ・ビーチ・ボーイズのドラマーと言えばデニス・ウィルソンを思い浮かべるだろう。しかし、1960年代中期の彼らの不朽のアルバムの多くでそのビートを提供していたのは、ロサンゼルスのレジェンド・セッション・ドラマーで、スタジオ・ミュージシャン集団、レッキング・クルーのメンバーであったハル・ブレインであった。そのブレインが3月11日に90歳で亡くなった。

ブレインの仕事歴は、フランク・シナトラ、サイモン & ガーファンクル、ママス&パパス、フィフス・ディメンションなどの最も有名なレコードから、多くのフィル・スペクターの作品、パートリッジ・ファミリーにまでおよび、その功績により彼はロックの殿堂入りも果たした。そして、ビーチ・ボーイズのヒット曲集に収録された「ヘルプ・ミー・ロンダ」「カリフォルニア・ガールズ」「グッド・ヴァイブレーション」「アイ・ゲット・アラウンド」「ダーリン」のような名曲や『15ビッグ・ワンズ』などの後のアルバムでも様々な曲を叩いている。今回のローリングストーン誌の最新インタビューでビーチ・ボーイズのアル・ジャーディンはブレインがバンドにもたらした貢献を回想する。

ハルは本当に多くの歴史的に重要な曲を叩いていた。彼はバンドを1つにする接着剤だったんだ。あのシナトラのやつとかね。ビーチ・ボーイズのレコーディングで初めて彼を雇ったのがいつかは覚えてないけど、ブライアンが彼を使い始めたのは「サーフ・シティ」のレコーディングの後だったかもしれない。(ウィルソンはジャン&ディーンの1963年にチャート1位を獲得したこの曲の共同作曲者であった)ハルとアール・パーマーはこの曲でツイン・ドラムをやっていて、ブライアンはすごく感動していたよ。

私たちは最初の何枚かのアルバムは自分たちで一生懸命レコーディングをしていたけど、ある時レッキング・クルーが参加することになったんだ。ツアーで忙しくなりすぎていたからね。私たちはツアーから戻るとボーカル録りをしたけど、楽器はレッキング・クルーが録っていたんだ。ブライアンはその時のツアーメンバーではなかったからその時に彼らとプレイすることができたんだ。スタジオに行って(1965年の)『サマー・デイズ』のある曲を聞いた時のことを覚えているよ。「おお、なんてすごいドラム・トラックなんだ。すばらしい!」って思ったのを覚えている

スタジオにはすごくプレッシャーがある。3時間のレコーディング枠があって3時間で3曲録ろうとしていたからちゃんとしなければならなかったけど、レコーディングではハルはリーダーでみんなの心を落ち着かせる力を持っていたんだ。彼は強烈でフレンドリーな青い目をしていて、とても魅力的でいつも周りが何をしているかに気を配っていた。よく面白い冗談も言っていたし、アイデアが出てきた時に神経を落ち着かせてくれたよ。

ブライアンと私にいいアイデアが浮かんで、でも、それをうまく1つにまとめなければならない。それが難しいところだったんだ。私たちはコード担当の人間だからトランペットやリード・プレーヤーと話す時にはそれをうまく伝えられる人が必要だったけどハルがそういったポジションの人たちをプロデュースしてくれたんだ。楽譜が全部読みやすくなっているかも確認してくれたし、それを先生のようにみんなに手渡してくれた。ハルはプロデューサーの中のプロデューサー。ブライアンは彼を崇拝していたしね。

ハルは筆を持った芸術家のようだったよ。彼の才能は彼らしさを入れてくるところにあった。「カリフォルニア・ガールズ」のシンバルを聞いてみてほしい。当時私たちはあまりシンバルを使っていなかったんだけど、あれがイントロのちょっとした味のあるトレードマークになっている。ブライアンは「スループ・ジョン・B」のすばらしいカバーを作ったけど、私はあのストレートな8分音符に行くところがすごく好きなんだ。私たちはあの「ウン・パ・パ」のところを“カウボーイ・セクション”と呼んでいたけど、ドラマーの言葉で言うとあれば8分音符なんだ。

ハルはこうしてほしいと言われたことをさらに良くしてくれた。あれは彼の特別な才能だ。彼はすべてのビーチ・ボーイズの曲の質をさらに良くしてくれたんだ。経験からしかもたらすことのできない幅と深さを曲に与えてくれた。私たちはラッキーだったよ。

Translated by Takayuki Matsumoto

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