TREKKIE TRAXが語るBMTH「クラブ・ミュージックの文脈で見ても前衛的なことをしている」

左からMasayoshi Iimori、futatsuki(TREKKIE TRAX)(Courtesy of TREKKIE TRAX)

ブリング・ミー・ザ・ホライズン『amo|アモ』のリリースに際し、様々なアーティストにインタビューを実施してきた当企画。最後に登場してもらったのは、日本のダンスミュージックレーベル/クリエイター集団「TREKKIE TRAX」からfutatsukiとMasayoshi Iimori。『amo|アモ』を、ダンス・ミュージックからの目線で語ってもらった。

ーfutatsukiさんはメタルコアやラウドロックがもともと好きだったとか。

futatsuki:父親がジャズとオーケストラとフュージョンが好きでレコードコレクターなんですよ。家ではそういうレコードを聴かされながら、週に一度レンタルCDショップに行って「好きなの借りていいよ」と言われ、洋楽コーナーのCDを借りるようになって。そこでスリップノットやマリリン・マンソンを知って、ラウドロックやメタルコアや北欧メタルを聴くようになって、一番好きだったバンドはチルドレン・オブ・ボドムでした。2010年前後のスクリーモ全盛期まではそういった音楽をよく聴いていましたけど、当時クラブ・ミュージックは聴いてなくて。せいぜいケミカル・ブラザーズやザ・プロディジーぐらいまで。僕は前職がアニメーターなんですけど、アニソンがかかるクラブがあるって知り合いに連れて行かれたのが、秋葉原のMOGRAだったんです。そしたらアニソンを聴きに行ったのに、スクリレックスの「Scary Monsters And Nice Sprites」とかDoctor Pの「Tetris」みたいなダブステップが爆音で流れていて……これまで自分が聞いていたハードな音楽との親和性も感じたので、その後クラブ・ミュージックにハマっていきました。今はR&B、ヒップホップを中心になんでも聴くようになりました。

ーブリング・ミー・ザ・ホライズンを知ったきっかけは?

futatsuki:メタルコアとか熱心に聴いてた頃、レーベル単位でよくチェックしていて。ブリング・ミーはアメリカのレーベルが最初はエピタフだったじゃないですか。そこから存在を知りました。

ーMasayoshi Iimoriさんはfutatsukiさんとは違ってゲームミュージックが最初の入口なんですよね。

Masayoshi:父親がYMOや坂本龍一が好きだったということと、父親が買ったスーパーファミコンやNINTENDO64とかゲーム機も家にあったので、電子音楽には親しみがあって。自分が生まれる前のゲームのサントラを聴くのが好きだったんですよ。そこから自分は音楽ゲームのbeatmaniaにハマって。ビーマニはDJゲームなので、ゲームをプレイする時にヒップホップ、レゲエ、トランス……というようにジャンルの名前が表示されるんです。そこでいろいろ覚えましたね。もちろん当時はEDMって言葉もまだなかった時代なんですけど。

あとは高校生の頃、2012~2013年くらいにMTV JAPANでUSチャートを見るのが楽しくて。今ではトラップとR&B一色のチャートですけど、その頃はいろいろ入り乱れてたんです。Avichiの「Wake Me Up」が1位で、その下にLORD、ケイティ・ペリー、マイリー・サイラス、レディー・ガガみたいなポップ系シンガーがいて、その他にはワン・ダイレクション、イマジン・ドラゴンズ、エミネム、ドレイク、キャピタル・シティーズとか、ほんとに雑多だった。ブリング・ミーもその頃から存在だけは知ってました。

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